2010年度初春・北陸遠征1 〜雷鳥撮影記 Final〜

 世の中は就職氷河期の真っただ中。これをどう乗り越えればいいのだろう。
 少なくとも、努力が1つの答えであることは間違いなし。特に面接なんて、場数を踏んで慣れるほか対策は無いだろう。
 就職活動は、大学3年のうちからスタートする。企業にエントリーして、説明会に行って、試験を受けて、面接を数回受けて。長い期間をかけて、ようやく内定まで辿りつける。

 まったく、遊んでいる暇などない。ましてや北陸へ……雷鳥を撮りに行くなんて、できっこないのだ。なんで就活と廃止が重なってしまったんだろう。これほど歯がゆいと言うか、恨めしいと言うか、とにかくあと1年ずれて欲しかった。
 諦めていた。行ってる場合ではないと、自制していた。しかし、本当は行きたかった。

 そんな中。エントリーしている企業の説明会が開催されるとのことなので、予約ページへ。東京会場……満席。
 こういう説明会は席数がそれほど多くないので、予約受付と同時に、瞬時に満席となることが多々ある。そう、ある列車の最終運転日のマルス予約のように。
 さてどうしよう。別会場に行くか……近場だと名古屋に……あ、満席。大阪も満席で……あ、ここ1個空席あった。……ん? 石川会場……だと?


 勝手な解釈かもしれないが、雷鳥に別れを告げてこいということだと思った。3月7日、石川会場の説明会に、予約を入れた。

 さて。目的が説明会となった今、撮影に行くために金沢へ行くという意味ではなくなる。即ち、これは合法な北陸遠征。就活をしに金沢へ行き、それに付随して雷鳥を撮影するのだ。そうだ。何ら問題は無いはずだ。そもそも説明会と同時に筆記試験が実施されるので、行かないわけにはいかないのだが。
 まぁこうなってしまうと、またとんでもないプランになってしまうのが、自分の悪い所だったりする……。


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◆ 3月3日(木)
 さっそくおかしな日付が出て来たが、まぁ気にしないで欲しい。
 まずは東京へ出て、夜行バス、プレミアムドリーム3号に乗車する。旧型座席装備車だが、新型よりシートピッチが広い。こいつで一路、大阪へ向かう。


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◆ 3月4日(金)
 だいたい定刻通りに大阪に付き、環状線天王寺へ。都合上、これから阪和線を撮りに行く。お目当てはとにかく103と、次のダイヤ改正で消えるはんわライナー、そして113系の8連快速だ。阪和色が入ればいいな〜と思っていた矢先、天王寺から乗った快速がそいつだった。

 普通に乗り継ぎ上野芝へ。少し歩いて、撮影ポイントに到着する。坂を上がってくる構図なのだが、太陽は雲の中。1本目のはんわライナーは諦めた方がよさそうだった。

 踏切が鳴り、遠くに二つライトが見える。来た。ファインダー越しに381系が近付いてくるが、次の瞬間、画面が真っ白になる。そう、太陽が顔を出したのだ。慌てて設定を変え、撮影。シャッターを切る10秒前の太陽降臨に、一時寒さを忘れて一人ハイテンションになっていた。
 その後は快晴そのもの。次々とやってくる103系は、バリエーションも豊富。例えば低運N40,高運N30,黒ゴム編成,デコボコ編成。関東では味わえない、「来る電車を撮っていて楽しい」という感覚。やはり103は良い。
 中でも8連快速は最高の被写体だったが、1本は被られてしまう。廃車予定のトップナンバーが来たが、環状線時代と違い、正面に判別する物が無いため、言われなければ分からない。2本目のライナーも無事撮影、そして目玉の113系8連快速は……カフェオレだった。







↑トップナンバーと、環状線時代のトップナンバー↓



 一通り撮影したら上野芝下りホームへ。さきほどの113快速とライナーの返しを狙う。同業者の方に、トップナンバーが回送で帰ってくると教えて頂き、103-1、103-2、共に撮影することができた。



 続いて移動の合間の環状線。撮影地は特に調べていなかったので、安全に撮影できる福島へ移動。撮影した環状の半分は103だった。


 この後は甲子園口へ移動し、立花〜甲子園口のポイントへ。貨物はどうでもよしとして、103系の8連廃回を撮影した。

 さて。撮影はこれで終わり、大阪へ戻る。これより北陸入り。手段はもちろん、雷鳥33号だ。
 指定は2号車。2〜4号車はシートピッチ拡大車のため。重い荷物を網棚に挙げ、力強いモーター音をBGMに、のんびりと、下り雷鳥の乗り納めをした。

 金沢に到着後、レンタカーを借り、いつもの健康ランドで夜を明かした。はくたか代走があったなんて聞いてない……)

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◆ 3月5日(土)
 朝風呂に浸かり、温まったところで加賀笠間へ。419系の6連を撮影するも、露出は無かった。

 続いて一気に湯尾へ移動し、日本海雷鳥を狙う……はずが。北陸道が雪で50km/h規制。速度を抑えつつ運転し、規制区間を抜けていざ飛ばそうにも、この車、高速域の加速が何故だか知らんが非常に悪い! 結局、日本海は撮り逃し。まぁトワ釜だし、改正後も残るからいいか。
 湯尾カーブには多数の撮影者が。しかし、半分くらいは日本海撮影後に撤収。追っかけ組みのようです。今回は雷鳥主体なので、日本海の追っかけは無し。雷鳥までしばし待機。


次の被写体は臨時雷鳥。ただ、この列車の順光撮影地は無し。もう側光狙いで細呂木へ向かいます。とその前に、貨物を1本撮影。

 ファインダー越しにマンダ〜ラとなっていくのがよく分かりました。

 少し移動して雷鳥を。晴れたり曇ったりな天気で、結果は曇り。

 さて、次の被写体は4060レ。その間の普通も視野に入れてはいたのだが、ちょっと見ないうちに521運用が増えまくり。先に言ってしまうと、この日は475の姿を見ていないという、北陸にいて信じられない事態に。新車の波は穏やかではないようです。



 4060レは何と2号機! 何度も北陸へ足を運んでいるものの、撮影はこれが初。同機はダイヤ改正で落ちると噂されているので、最初で最後の撮影となりそうです。

 この日の撮影はこれで終了し、再び金沢の健康ランドへ。夕食にナンとインドカレー、鯵寿司を頂きました。


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◆ 3月6日(日)
 いつものように朝風呂に浸かり、この日は寺井付近へ。実は初めていく場所ですが、特徴的な道路配置だったので迷うことはありませんでした。

 ……さて、太陽が出ない。露出が無い。空の感じを見ると、雲がかかっているものの、切れ目はオレンジ色の空。上手くすれば日が当ってくれるという状況。
 願い空しく、日本海と、その前走りの貨物は露出なし。日本海通過10秒後に日が出ると言う、はんわライナーの逆パターンをかまされる。
 しばらくすると露出は回復、うっすらと日が差し込んできて、そんな中に4008Mが通過しました。

 続行の419は流し、その返しを狙いに加賀温泉の陸橋へ向かいます。確実に419と言える運用が分からなくなってきた今、前日の自分の見たものだけが、信頼できる情報です。

 別の運用の419を牛ノ谷で。定番位置にやけに人がいたので何事かと思いきや、トワ狙いだったようです。そんなこと考えてすらいませんでした。

 続いて何度も撮影しているのに列番を知らない貨物を狙いに加賀笠間へ。微妙ながら離合を撮影出来ましたが、青坊主の方が面白かったかな?

 と、北越4号にT18が入っているとのことで、時間的に間に合いそうな高岡へ。ここでようやく475を見ることができました。その後81単機を撮影。これを4060レだと思って撤収すると、しばらくして荷を満載した“本当の”4060レが通過してテンションがた落ちしました。

 この日の締めは臨時雷鳥。金沢17時過ぎに出発なことに加え、この日は曇り。露出のある場所は限られます。万が一晴れた時のために、撮影地は日没前かつ順光である加賀笠間のアウトカーブを選択。来た道を戻ります。

 結果は曇り。ちょっと寂しい結果だったかな。

 これが、オレが撮影する最後の雷鳥の走行写真となった。もう、君の写真は撮れないんだね……。

 419を撮り、寂しさと遣る瀬無さが波打つ感覚を胸に、移動拠点の健康ランドへと戻りました。


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◆ 3月7日(月)
 説明会に参加するため、この日はスーツで健康ランドを出発。北陸道を富山へと向かいます。この時点でおかしい
 目的はキハ58。しかし天気はドン曇り。走行の撮影は限られるので、まずは西富山でバルブ。列車組みのことを考えてなかったので、イマイチな結果となってしまいました。

 続いて速星〜千里へ。走行写真自体は既に撮影済みなので、HMを目立たせる方向で撮影地を絞ります。
……にしても、平日の割にすごい人出でした。時間が時間なだけに、出勤前という方が多かったのかもしれません。



 撮影後は西富山の陸橋へ急ぎます。急ぐ理由はただ一つ、駐車スペースの確保。その撮影地一帯は駐停車不可なので、駐車スペースは、陸橋裾に5台程度しかありません。
 まぁ難なくスペースを確保しましたが、数分後、西富山側のスペースは満車(?)に。速星側のスペースは案外余裕あるんですね。

 陸橋上は既に20人ほどの撮影者が密集。自分はここで雪晴れ国鉄色を撮影済みなので、縦アンで狙うべく、一人集団から外れてしばし待機。お目当ての58は、警笛を響かせ駆け抜けて行きました。
 続行で速星貨物が通過。これまで自分が撮影したこの貨物、原色率100%です。

 最後に鉄橋を渡る姿を撮影し、金沢駅へ帰還。レンタカーを返し、電車で説明会会場へと向かいました。すっごい新鮮な感覚でした。

 筆記試験の時間が足りなくて撃沈だった説明会を終え、金沢駅前のホテルに入ります。健康ランドは駅から離れており、翌日の帰路を考えると、こちらの方が効率が良いんですよね。
 部屋から雷鳥33号の到着を見届け、風呂に浸かり、夕食を取り、久々にちゃんとしたベッドで眠りました。


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◆ 3月8日(火)
 金沢を去る日。それは雷鳥との別れの日。11日は企業の面接が入っているため、ラストを見届けることはできません。
 そう、これが最後の時。
 3月8日、金沢7時10分発、雷鳥8号に、オレは乗る。上り列車の乗り納めであり、これが本当の、雷鳥の乗り納め。4日はモーター音を楽しみ、今日は展望を楽しむ。乗るのは勿論、パノラマグリーン。最前列では無いですが、3C席でも展望は良好なはずです。
 一番好きな列車とも、今日でお別れだ。年に数回しか会えなかったけど、その数回は本当に楽しかった。君を撮影する遠征は、本当に楽しかった。感謝と敬意を込め、スーツ姿で金沢駅へと向かった。

 ここでまずは419系の撮影を。6連で到着する321Mは、解放縦列でしばらく停車する。雷鳥の影にかくれがちだが、そうだ、食パンこと419系とも、これでお別れなんだ。広々として空いていれば超快適な普通列車。三脚を置き忘れた思い出が懐かしい419系に、心の中で別れを告げた。



 7時5分。雷鳥8号がホームに滑り込む。A01編成だ。撮影している余裕は無いし、最後にドタバタするのもどうかしている。ドアが開くと同時に自分の席に落ち着き、約3時間の旅が始まった。


 独特な音色の発車メロディが鳴り、4008Mは定刻通りに金沢を出発する。放送前のチャイムは鉄道唱歌。A04編成だったらオルゴールだったのだが。
 列車はしばらく、北陸新幹線工事区間のためか、速度を控えめに進んで行く。天気は……雪だ。前日の夜にある程度降ったらしく、線路もうっすら雪化粧している。
 工事区間を抜けてようやく本気といったところ。心地よい振動と微かに響くモーター音。列車は笠間、寺井、と訪れた撮影地を急ぎ足で通過して行き、最初の停車駅、小松に到着した。先頭付近には撮影者の塊が。平日なので、駅撮りで済ます人が多いのだろうか。
 加賀温泉を出て、この先順光の撮影地が点在する。天候は打って変わり、天気予報を華麗に裏切る晴れ模様。どの程度撮影者がいるか見ものである……が。
 牛ノ谷細呂木の定番場所がまさかのゼロ。こんな良い光線で勿体ない……。
 芦原温泉〜丸岡も姿が見えず、森田の鉄橋でも数人といった程度。変わりに加賀温泉芦原温泉,福井の駅撮りは多かった。
 列車は福井を出発。その際、朱色のキハ120がいて驚いた。こいつも塗装変更対象車だったとは……。
 さて。パノラマグリーンの売りは展望。しかしこれを楽しめるのは、ギリギリ3列目か4列目までである。展望を楽しみたいのは分かるのだが、動画を撮りたいのは分かるのだが。自分の席から撮りましょう。前の列に座っている人に迷惑ですし、展望の妨げになります。そしてこっちの録画の邪魔になる。限られたスペースで楽しむと言うことも、マナーの一つだと言うことを忘れないで貰いたい。
 次第に雪が多くなってくる。王子保〜南条は見ていなかったが、南条〜湯尾の撮影地は、まさかの1人。平日だから……だよね。
 南今庄を通過してすぐ、列車は北陸トンネルに入る。長い長いトンネルに、モーター音が響き渡る。旧線時代は海沿いを走っていた北陸本線。現在だいたいその跡地に、北陸道が走っている。杉津PAからの日本海の眺めは格別だ。
 交直セクションを通過し、列車は敦賀に到着する。ここでこれからの130km/h運転に備え、モハのパンタが2機とも上げられる。ここからが雷鳥の見せ場だ。モーター音はさらに高く唸り、振動も少々荒くなる。これでこそ高速で走ってる! という感覚。これぞ特急列車だ。
 駅撮り者の姿がだんだん多くなってゆき、京都タワーが見えてしばらく。列車は京都に到着した。やはり撮影者が多い。ここからはすれ違う列車の数も増え、北陸とは格が違う都会に入ったことを実感できる。
 駅撮りする人はさらに増え、この列車に乗っていることが特別であるという気分にすらなれる。そうだ。実際特別なんだ。金沢から乗り、今の今まで何故か実感が湧かなかったのだが、それは多分、別れる悲しさより、乗っている楽しさが勝っていたからなのかもしれない。
 先端の群衆を横目に、列車は新大阪に到着した。ラスト1区間、列車はそれほど速度を出さない。それがまた名残惜しさを増長させる。ポイントをまたぎ、1羽の雷鳥はゆっくりと、終点大阪駅のホームに滑り込み、そして静かに、3番乗り場に羽を下ろした。

 回送。ホームに降り立った時、列車は既に冠を外していた。ちょっと気が早いような気もするが、北陸の地から羽ばたき続け、その役目をぴたりと終えたと考えれば、そう悪くも思わない。回送が発車するまで、オレはホームに佇んでいた。隣のホームから北近畿が発車する。元は同じ485系。そしてこの北近畿の運用はA編成。共に改正で消え去る車両だ。そして改正で北近畿コウノトリを名乗ることになるが、2羽の鳥が顔を合わせることはない。



 回送列車が発車する。隣には103系の姿が。そんな昭和の薫りを残す大阪駅。また一つ、近代化の波に呑まれていく列車が増える。1964年12月25日、481系電車、雷鳥が運転を開始。2011年3月11日、485系電車、雷鳥が運転を終える。先頭車は変わらぬ481系。そして塗装も、最後まで伝統の国鉄色を留めていた。こんな列車、ほかにあっただろうか。


 特急、雷鳥
 46年と3カ月の歴史に、その幕を閉じた。


 さようなら。
 回送の姿を最後まで見送り、高速バスで帰路についた。


 長期休暇ごとに実施した北陸遠征。その度に記した雷鳥撮影記。最後の筆を、ここに置く。


 余談ながら、今回受けた筆記試験ですが、無事合格し、面接に駒を進めることができました。あの撃沈具合から考えるに、なんとなく、雷鳥のお陰で合格したのでは、と思ってしまうのも無理は無い話である。