2013年度冬・東北(だいたい)一周旅行!

 今回の旅行先は、ずばり東北。
 2014年3月で廃止となる「あけぼの」に乗りたかったからと言うのは置いといて、今回は趣を変えて、旅行にスキーを組み込んだ。
 「あけぼの」で青森へ行き、青森周辺を観光、さらに平泉・中尊寺を観光し、猪苗代でスキーと言う、車中泊含め3泊4日のプランを仕立てた。

 が、予想外に「あけぼの」が満席だったため、東北方面という基本は変えずに、行程を変更。今回はK君とY君の3人で、冬の東北一周旅行に挑む。



【12月26日(木)】
 08時40分。東京駅八重洲口に集合。今回は初心に戻り、車を極力使わないプランとした。
 これから先、猪苗代のスキー、仙台光のページェント中尊寺田沢湖、男鹿、酒田と観光し、上越新幹線で帰ってくるというプラン。JRを駆使するからこそできる、東北、田沢湖、羽越、上越新幹線経由の一筆書き切符を購入。これで乗車券の代金を大幅に圧縮できる。
 その反面、乗車券を無くしてしまった場合の損失が大きい。そこをメンバーによく説明し、決して乗車券を無くさないよう念を押し、今回の旅行はスタートした(フラグ)。

 9時ジャストの「やまびこ」で郡山へ向かう。まだ帰省には早かったようで、新幹線はそこまで混んでいない。大宮で自由席が大方埋まったものの、立ち客は居なかった。

 郡山で下車。ここで“一筆書きの切符”は一旦お休み。あらかじめ購入しておいら“郡山⇔猪苗代”の往復乗車券に切り替える。
 
 次に乗るのは「あいづライナー」。乗換時間は20分以上あるが、列車はドアを開けて待っていた。
 455末期の撮影で、よくお世話になった「あいづライナー」。車両は元東武直通の485系だが、元をたどると、青森から転属し、会津DCの「特急あいづ」に使われた車両である。座席間隔が驚くほど広い快適車両と、久しぶりに再会した(この485に乗るためにプランを組んだ訳ではない)。

 郡山を発車し、列車は大きく左へカーブする。雪はほとんど無いが、遠くに見える磐梯山は真っ白だ。我々はこれから、あの麓へ向かうのだ。


 「SL郡山会津路」を撮ろうとして溝に落ちて怪我した嫌な思い出の磐梯熱海を出れば、次は猪苗代。いくつかのトンネルを抜けると、あたり一面銀世界。関東では味わえない感動がある。
 快適な30分間はあっという間に終わり、猪苗代駅で下車。ホテルの送迎車に乗り込み、今宵の宿、ヴィライナワシロへ向かった。

 ホテルに着いたのは12時少し前。ここでリフト券やレンタル券などを引き換え、目の前の猪苗代スキー場へ足を運ぶ。
 早速ウェアやスキー板をレンタル・・・の前に、併設されているレストランで昼食を。猪苗代であることはさておき、会津と言えばソースかつ丼! 甘めのソースがかかったかつ丼は、値段の割に美味しくて満足。少し休憩したのち、ゲレンデへと繰り出した!

 スキー経験はある。が、2年ぶりというブランクは大きかった。リフトを下りるまではテンション高かったものの、いざ斜面を目の前にすると、緊張が走る。
 ここは落ち着いて行こう。ほら、目の前に広がる猪苗代湖。こんな広大な風景でスキーが出来るとは、オレのチョイスは間違ってなかったようだ。さぁ、この素晴らしい白銀の世界へ、いざ、出陣!

 ・・・これから来る午年をイメージした訳ではないが、生まれたての仔馬のような足取りで、斜面を下りていくのだった。



 今回、珍しく「失敗した!」と思うことに遭遇した。
 それはホテルの夕食。今回のこのスキー部分、いわゆる安いスキーツアーを利用している。ツアーバスとセットで1万5千円前後で行けるやつ。もっとも、自分はツアーバスをあまり信用していないので、バスを利用しない“マイカープラン”で申し込んだわけだが、それがどうも失敗だった。
 1泊2食付き、温泉入り放題、リフト券付、スキーセントレンタル付き、保険料込みで10,500円。1日スキーして思ったところは、レンタル品に安っぽさはそこまで感じない。部屋も10畳+応接部分の一般的な間取り、かつ、付いていないと言われていた風呂もある。それでこの値段は破格だ。・・・そのシワ寄せが、夕食に現れていた。

〜 夕食の献立 〜

・小鉢に入った和え物①(イカ?入り)
・小鉢に入った和え物②(サバ?入り)
・野菜たっぷり、鶏肉と肉団子がメインっぽい鍋+うどん
◇ハーフバイキング
・ご飯
・お吸い物
・サラダ

 以上。


 いやちょっと待てよ。安いのは有難いけど、これは無いんじゃないですか? ハーフバイキングに至っては、セルフサービスをちょっと豪華に表現しましたレベル。
 とにかくこれには落胆。安いツアーに期待するなと言われそうですが、2年前は違った。当時も同じようなスキーツアーで赤倉に行ったのだが、夕食はおかずが食べきれないほどで、小ぶりながら蟹も出た。値段は若干高かったが、それでここまで格差があるとは到底予想できない。期待しすぎたせいなのか、旅行慣れしすぎてしまったせいなのか、ひとりテンションダダ下がり。ハーフバイキングとやらのサラダを食べつくしてやろうかとも考えましたが、やめときました。

 と、こんな風に書いてしまうと誤解されそうですが、ホテル“本体”(ツアーでない普通の宿泊枠)の方の夕食は凄かった! きちんと牛肉が使われた鍋(しゃぶしゃぶ?)があり、アイスクリームやチョコフォンデュの食べ放題。そもそも食事会場自体、ツアー客は間仕切りされた一角に集められていた。
 これを見ると、今度からは多少値段が上がっても、スキーツアーは使わない方が妥当かもしれない。


 今回スキーツアーを利用したのは、旅費をいかに圧縮するか熟考した結果だった。
 あけぼのが取れなかったため、車中泊1泊、宿2泊のプランが、宿3泊になってしまったのが痛い。これにより、本来「交通費」に含まれる1泊分が無くなり、「宿泊費」が膨大になってしまったのだ。さらに、列車の時間や移動の効率化を天秤にかけ、本来使うはずの無かったレンタカーを組み込んでしまったことも大きい。
 我々が織り成す旅行には、「六萬円ルール」という、自分の中の暗黙のルールが存在する。これは、交通費、宿泊費、レンタカー代込みで6万円以内に納めると言うもの。で、今回の旅費は、驚きの「59,500円」。青森除く東北一周旅行でこの値段である。・・・もっとも、この旅費に一部の食費、施設見学費、高速代、ガソリン代、タクシーを使う場合の費用は含まれておらず、割と都合のいいルールだったりするのだが。
 



【12月27日(金)】
 朝食は良かった。良かったと言うのは普通だったという意味で、普通のホテルの朝食バイキングとなんら遜色ない物を提供された。
 早々にチェックアウトの手続きを済ませ、猪苗代駅までの送迎を申込み、2日目のスキーがスタート。前日の筋肉痛が残りながらも、慣れてしまえばこっちのものと言わんばかりに、気持ちよく斜面を滑走できた。この日、転ばなかったのはデカい。

 爽快なスキーの部はあっという間に終わり、ホテルから駅まで送迎してもらう。・・・本当、夕食のアレさえ無ければ大満足だったのに。
 猪苗代駅で年賀状の一部を投函し、郡山行きの列車を待つ。455廃止に伴い、基本3両の列車が2両になるという弊害が生じたため、ホームにはなるべく早く入場。しかしやって来る列車は6両のようで一安心。それでも会津若松の混雑を考えて先頭車両に乗り込んだ(会津若松駅は後ろの方に改札がある)が、まさかの先客2名。ボックスシートに各々おさまり、約40分、快適に移動できた。

 さて、“郡山⇔猪苗代”の往復切符はここで終了。ここから再び“一筆書き切符”で旅の再開となるが、何やらK君の動きが慌ただしい。あれだけ念を押したんだからまさかな、と思ったら、そのまさかだった(笑)

 郡山での乗換時間は10分。10分間で一筆書き切符を再購入できるとはとうてい思えないので、K君に気の毒ではあるが、一旦、郡山→仙台の乗車券を購入してもらう。観光のため時間を多く取ってある仙台に到着後、仙台→盛岡→秋田→新潟→東京都区内の一筆書き切符を購入する運びとなった。

 ひとつ判明したことは、K君、どうやら初日の猪苗代で、“郡山→猪苗代の行き切符”と、“一筆書き切符”を誤って2枚とも駅員に渡してしまったらしい。普通の列車に乗っていれば、2枚渡された時点で駅員はおかしいことに気付く。だがこのとき乗っていたのは、指定席連結の「あいづライナー」。そう、2枚渡されても、何ら不自然ではなかったのだ。加えてそのとき、手渡しの出札口は1つのみ。混雑するなか、2枚渡されたら「乗車券と指定券」と思い込んでしまうのも無理はない。


 仙台では、「光のページェント」を見学する。大通りのケヤキ並木に、約30万ものLEDが散りばめられた、大規模なイルミネーションイベントだ。昔は電飾が今の倍以上あり、エリアもさらに広かったと言うことだが、東日本大震災の影響などからか、規模は年々縮小傾向にあるらしい。583系による「光のページェント号」が懐かしいものだ。

 寒空の中、白色LEDやハート形、アーチ状に組まれた電飾の広場をまわり、大通りに一直線に続くLEDの道を端から端まで歩き通す。電球色のLEDが使われているが、どうやら3個【3本の木、とかではなく、LED1個単位で計3個】だけ赤色のLEDがあるらしい。一部でそれらしき人だかりがあったものの、よく分からなかった。



 毎時00分に行われる“スターライト・ウインク”(LEDが一斉に消え、再点灯するイベント)も動画におさめ、タクシーで仙台駅へと戻る。結論:男3人で来るところじゃない。

 ヨドバシでK君の買い物に付き合い、お待ちかねの夕食は、仙台名物、牛タンだ!
 仙台駅に入っている牛タン屋で、食べ比べの定食を注文。塩、味噌、タレの3種類、合計12枚の大ぶりな牛タンが楽しめる。焼き加減も程よく、固くない。麦飯が進む! 個人的には味噌味が一番おいしかったかな。あまりの美味しさに、おつまみ牛タンを購入し(後に紛失)、仙台を後にした。


 宿があるのは一ノ関。これも、翌日の平泉観光を考慮しての作戦である。全車指定席の「はやて」に特例の自由席特急券で乗り込み、一ノ関着は22時少し前。「Pokemon with you train」用のモニュメントと記念撮影した後、凍結して危ない夜道を恐る恐る5分ほど歩き、今宵の宿、「一関蔵ホテル」に到着した。

 部屋は若干畳が傷んでいる和室10畳。寝るだけなら気にならない。結局“風の谷のナウシカ”を途中から最後まで見てしまい、ビジネスホテル級のホテルにしては十分な広さの大浴場でリフレッシュ。早々に床に就いた。






【12月28日(土)】
 6時半起床。旅行では恒例の朝風呂に自分だけ浸かり、朝食バイキングへ。ヤバいよ美味しいよ。カレーがあったのが個人的に嬉しい。そして梅干しが美味しい。

 宿を出たのは7時50分頃。一ノ関駅へ向かうのだが、特筆すべきこととして、あたり一面銀世界になっていた。昨晩も雪はあったにはあった。だが、それは道路の隅にまとめられていた程度。アスファルトは見えていたし、建物に雪が積もっていることも無かった。それが一夜にして、真っ白。目測で10〜15cmは積もっているだろう。とにかくテンションが上がる。ギュムッギュムッと雪を踏む感触が気持ちいい。なにより、半ば諦めていた雪の中尊寺を見ることが出来るのだから。

 一ノ関駅前、初音ミクを全面に押し出しているカラオケ店の1階に、バスの待合所がある。しばらく待機すると、まずやってきたのは、猊鼻渓方面の路線バス。いわゆる国際興業カラーを纏ったジャーニーだ。さらに待つこと数分。中尊寺経由のイオン前沢行きバスが到着。三菱ふそうエアロスターだが、全面左下にある「運賃後払い」の幕を見て直感。車内に入って椅子の色を見て確信。これ、神奈中バスのお古だ。1997年〜2000年の車だろう。昔よくお世話になりました。

 このバスで中尊寺へ向かう理由は、時間的な面が大きい。1時間に数本の電車だと、平泉駅着が7時50分頃、その次は確か9時台。中尊寺が開くのは8時半からで、効率が悪い。対してバスは、一ノ関駅を8時過ぎに出て、中尊寺に8時27分に着く。平泉駅から中尊寺は徒歩約20分かかるため、バスの利用が最善だろう。



 中尊寺へと続く長い長い坂道は、雪に加えてところどころ凍結している。手すり代わりのロープが重宝する。15分ほど歩くと、ようやく中尊寺の入口が見えてくる。正月間近だからか、国旗が掲げられ、よりいっそう凛々しく映る。開園とほぼ同時に訪れたことが良かったのか悪かったのか、観光客は誰もいないが、境内は絶賛人力除雪中。お疲れ様です。



 ひととおりお参りし、お土産にお守りとお札を購入し、いよいよ、金色堂へと足を運ぶ。

 2011年、世界文化遺産に登録されただけあって、境内には文化財が多数存在する。

 金色堂の前に、讃衡蔵 (さんこうぞう)という展示施設に入った。ここは数多くの重要文化財が展示されており、その数約3,000。現存する国宝、重要文化財のほとんどがここに納められているのだとか。特に、金色堂の調査の際、藤原一族のミイラとともに多数の副葬品が発券され、そのほとんどが重要文化財級の物だったらしい。
 そんな展示物以外、特に目をひくのが、入ってすぐ鎮座している、3体の仏像。これはそれぞれ、本坊本尊の木造阿弥陀如来坐像、峰の薬師堂にあった木造薬師如来坐像、閼伽堂にあった木造薬師如来坐像で、まとめてここに展示されている。


 金色堂は、撮影不可。コンクリート造りの建物の中の、さらにガラスケースに仕切られた中に、大切に保管されている。湿度空調完全管理。さすが世界遺産だ。大きさは、想像より一回り小さい印象。中で立ったら頭がぶつかるくらいだろうか。本当に金一色で、鈍く輝いている。柱や梁に目をやっても、美しい装飾が施されており、極楽浄土をイメージしたと言うのも頷ける。金色堂自体、何度か修復作業が施されているものの、これだけ美しい状態で拝めるのは、どこか嬉しくも感じた。

 列車の時間が近づいている。10時半には中尊寺を後にし、タクシーで平泉駅へと向かう。利用しようと思っていた巡回バスがこの日から運休だったというミスは置いといて、11時頃に平泉駅到着。ちょこっとお土産を物色し、11時27分、お目当ての列車がホームに入ってきた。



 ジパング平泉号。485系改造のジョイフルトレインだ。これで快適に盛岡まで移動できる(この485に乗るためにプランを組んだ訳ではない)。乗るのはもちろん指定席。自由席でもリクライニングシートだが、ここは少し贅沢に行こう。
 大型モニターが並ぶデッキから車内に足を踏み入れると、温かみのある緑色の座席が、窓を向いて並んでいる。このタイプの列車に乗るのは初めてだし、そもそも前例があるかどうかも分からない。イメージ的には、伊豆急行リゾート21が近いだろうか。
 親子連れが展望スペースを独占していた以外、終点まで客席は貸し切り状態。1人で2人座席を占領して、ゆったり盛岡を目指した。


 そうそう、“一筆書き切符”のことを考えると、一ノ関〜平泉は乗車していないことになる。しかしこれに問題はなく、JRの規則にも、その旨記載があることをどこかで知った。こういう“捨て区間”があったとしても、一筆書きで購入した方が格段に安い。六萬円ルールに大きく貢献していると言うわけだ。


 盛岡から田沢湖までは、こまち75号に乗車。狙ったわけではないが、間もなく引退のE3系での運転で、「ありがとう」のステッカーが大きく貼られていた。
 特定特急券の利用で、かつ車内はほぼ満席。約30分はデッキで過ごすことになる。検札に来た車掌さんは、我々の“一筆書き切符”を見るなり、寒いから気を付けてと声をかけてくれた。


 田沢湖駅では、太鼓演奏のお出迎え。

どうやら秋田DCの最終日だったようで、ぬいぐるみ盗難で有名(?)なオモテナシ3兄弟、それにこの日が初お披露目となる、デザイン変更後のNEWたっこちゃんの着ぐるみも登場。職員の方の案内するまま、たっこちゃんと記念撮影。こうした温かいおもてなしを受けるだけで、また秋田に来たくなってしまう。
 ひとつ残念だったのは・・・もう少し早い列車なら、漬物やお餅の振る舞いがあったらしい(笑)
(http://tazawako.blog.shinobi.jp/%E3%81%9F%E3%81%A3%E3%81%93%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%EF%BC%88%E3%82%86%EF%BC%89/%E7%A7%8B%E7%94%B0%EF%BC%A4%EF%BC%A3%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88%E7%B5%82%E4%BA%86%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%97%E3%81%9F)



 田沢湖駅からはレンタカー。プリウスαで、雪国らしくフォグランプを装備。なにやらフォグランプにもハイビームマークがあったが、よく分からなかった。

 まず向かったのは、田沢湖共栄パレス。ここは秋田犬が展示されている唯一の施設で、ほかに秋田三鶏も飼育されている、ちょっとした有名どころ。秋田犬は3匹。ぶてっとした顔や体型が癒されるのだが、なぜかカメラを向けるとそっぽを向く。オレの何が不満なんだろうか・・・。
 ここで昼食をとるつもりが、レストランがまさかの休業。HPには年中無休って書いてあたのに。いや、レストラン“が”年中無休とは書いてなかった気が。そんななか、共栄パレスの売店にいた人が、きりたんぽなら作れるよ〜とのこと。これは有難い! 少し甘めの味噌を塗ったきりたんぽ。みそたんぽと呼ばれるらしいが、それを頂き、お土産を買って共栄パレスを後にした。

 田沢湖はもう目の前。田沢湖と言えば、日本一深い湖であり、金色の辰子像が湖畔に佇む、秋田県を代表する観光地。
 辰子像があるのは、共栄パレスから湖畔沿いに約10km。案外距離があった。
 雪の中に佇む辰子像には、とある伝説が残されている。田沢湖(当時は田沢潟)近くに住んでいた娘、辰子は、稀にみる美人で、その若さと美しさを永遠に保ちたいと、大蔵観音に百日百夜の願いをかけた。それから色々あって、辰子は龍となり、田沢湖の主となったのだ。



 田沢湖を一周し、時刻は15時半過ぎ。ここから男鹿半島まで一気に移動する。
 田沢湖線としばらく並走ののち、車は山道へ。陽も落ちてきて、雪が舞い始める。途中の道の駅協和で小休憩し、出発する頃には、雪が一層強くなる。場所でいうと羽後境駅付近で、辺りは地吹雪と化し、ライトをハイビームにしても、巻き上げられた雪で視界がそこまで利かないという状況。まわりに車がいなかったため、慎重に運転して何とか突破。協和ICから高速に入れば、雪は多少落ち着いた。
 男鹿半島ICで下り、真っ暗で何も分からないが、しばらく海沿いを走行。カーナビに従って細い山道に入ると、凍結しているのか、しばしハンドルを取られる。なまはげが歓迎する交差点を曲がれば、今宵の宿、セイコーグランドホテルはすぐそこだ。何だかんだで、3時間の長丁場だった。

 ここは普通のホテル! ビジネスホテルではない。夕飯も出るし、温泉も露天風呂もある。部屋は広々とした和洋室。設備も申し分なく、これで1万円ちょは安い。
 すこし休めば夕食の時間。別の食事処に移動し、とりあえず食前酒で乾杯。懐石では無いが、刺身、鍋物、いくらご飯と、どれを取っても美味しかった。

 風呂もほどよい広さで、露天風呂からは舞い散る雪が見える。風が強く、湯気がひたすら外に流されて行く。こうして温泉にのんびり浸かることが、旅の醍醐味だと自分は思う。
 売店でアルコールとおつまみを買い、小宴会ののち、床に就いた(この時、牛タンおつまみの紛失に気付く)。




【12月29日(日)】
 最終日。
 1人で朝風呂を楽しみ、朝食はバイキング。郷土料理のほか、焼きたての魚、イカ、それにハタハタのから揚げ! 梅干やわらび餅などデザートも充実とあって大満足。ついつい食べ過ぎてしまう。


 満腹になったところでホテルを出発、向かうは男鹿なまはげ館。なまはげの歴史に触れられる施設で、実物を“観る”こともできる。
 そもそもなまはげとは、「火斑(なもみ)を剥ぐ」という言葉が訛ったものと言われている。“なもみ”と言うのは、炉端にずっと当たっていると、手足にできる火型のこと。冬も働こうとしない、言わば怠け者の証拠だ。それを剥ぎ取って怠け者を戒めるのが、“なまはげ”である。
 なまはげは毎年大晦日の晩に家々を巡り、子供や怠け者の悪事を訓戒、厄災を祓って、豊作をもたらす。鬼のような顔をしているが、真山・本山に鎮座する神々の使者と信じられており、男鹿半島全域で、このなまはげ行事が行われている。約80ある集落ごとに、なまはげの顔、持ち物、巡り方などは多様で、国重要無形民俗文化財にも指定されている。


 なまはげ館では、その全てのなまはげを見ることが出来た。一部「集落で使用中」とのことで写真展示になっていたが、それがまたリアルで良い。
 会館直後(と言ってもHP見間違えて30分経ってた)に行ったおかげで、館内はほぼ貸切。スタッフの方に勧められるがまま、なまはげに扮して記念撮影(右の青なまはげ)。そして、併設されている「なまはげ伝承館」へ足を運び、なまはげを“観る”ことにした。


 ここでは、なまはげ行事が実際に行われている。観客は我ら3人のみ。囲炉裏のある古民家の一室に通され、なまはげの実演が始まった。
 なまはげが家を訪ねる前に、付人のような人が、先に家を訪れる。これは、お産などがあった家になまはげが訪れてはいけない決まりがあるらしく、入っていいか確認するためらしい。入って良い旨伝えると、しばらくして、「オー、オー」と言う、唸るような、叫ぶような声が聞こえてきた。同時に、戸が、壁が、力強く叩かれる。威勢よく扉を開けると、「悪い子はいねぇか〜」「怠け者はいねぇか〜」と叫びながら家の中をまわり、そうこしていると、家の主がご馳走を用意し、なまはげをなだめながら、酒と一緒にもてなすのだ。
 なまはげが家をまわることは知っていたが、主がもてなす、と言うのは初めて知った。ここで主となまはげの会話が始まる。作物の出来栄え、家人の健康、そして、悪い子、怠け者はいないか。ここの実演では、家の子供が遊んでばかり、嫁が怠けてばかりということを戒め、それを主が酒でなだめる。
 最後は主が豊作の証として大きな餅を手渡し、なまはげがこれから1年の健康と豊作を約束した。嬉しいことに、我々3人の健康を保証してくれた。
 なまはげが落としていった(と言うより動き回るにつれて落ちた)衣の藁は、言わば幸福の欠片。お土産として持ち帰って良いらしい。車に入れれば交通安全、家に飾れば家内安全。地元では、子供の頭に巻き付けたりもしているらしい。

 とにかく、迫力があった。そして、楽しめた。歴史を知る博物館や資料館はたくさんあるが、こういった“実演”してくれる施設は、そうないだろう。何より我々3人のためだけに実演してくれたことが嬉しい(時間開催ではあるが)。実際になまはげが飲んでいたお神酒を購入し、なまはげの紹介映画や実物をじっくり見学し、なまはげ館を後にした。




 雪道を走ること1時間。カーナビの指定時刻より早く、秋田駅に到着した。レンタカーを返却し、駅ビルでお土産にきりたんぽを購入。“一筆書き切符”を再び取り出し、特急いなほ10号に乗り込んだ。車両は3000番台。設備的には当たりだが、見る文にはハズレである。
 念のため取った指定席はガラガラだが、その分のんびりでき、1時間半ほどで酒田に到着。本来は山居倉庫を見学する予定だったが、Y君の海鮮が食べたいというリクエストに応え、前日に予定変更。漁港のある魚市場へと向かった。
 飛島航路は絶賛欠航中。市場2階のレストランで、店員お勧めの海鮮丼を堪能。エビのから揚げと、よく分からない魚の卵の塊も味わい(何の魚かは忘れたが、固くて歯ごたえ有り、良い味が出てた)、少しお土産を見て、酒田駅へと戻った。


 ここから新潟へ向かうのだが、乗るのは勿論「きらきらうえつ」。8年前に乗って以来、久々に乗車する。ジョイフルトレインとしては珍しい、丸ごと1両ラウンジカー。これも485系の改造車だ(この485に乗るためにプランを組んだ訳ではない)。
 席は海側を指定したものの、既に辺りは真っ暗で、車窓は関係なかった。ラウンジカーで注文するのは「お茶セット」。急須に入れられたお茶を、笹を象られたカップで飲める。ちょっとしたお茶請けも付いてくるが、これに仙台で購入しておいた萩の月を加え、豪華なセットにアレンジ。8年前にはなかった40分制限があったものの、たいして問題はなかった。


 列車は対向列車の遅れをもろに受け、新潟には定刻より7分遅れて到着。乗り継ぐ新幹線は所定10分接続のため、少々急ぎ足で新幹線ホームへ。新幹線は乗り継ぎ客を待ってくれていたようで、乗り込んで数分して、各駅停車タイプの「とき」は出発した。


 爆睡した後、大宮の到着放送で目が覚める。旅行はこれで終了だ。

 “一筆書き切符”の自分とY君は、ここでいったん下車。切符を買いなおしたK君は、東京都区内まで有効のため、東京駅のイルミネーションを見るべく、車内でお別れとなった。
 方面が違うため、Y君ともここでお別れ。次回は北陸方面へ行きたいとの要望を受けもらい、自分は湘南新宿ラインで、Y君は上野方面の列車で帰宅した。



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 今回の旅行、初日の夕食を除いて、最高なものになった。初日の夕食を除いて、自分が立てたプランで順調に旅が出来ると言う点も、満足さはプラスされる。なかなか行く機会のない東北方面、初心に帰って公共交通の大幅活用、スキーと観光の両立という面でも、初日の夕食を除いて、大成功である。
 さらに、天候にも恵まれた。実はこの旅行中の天気予報、雨やら暴風雪やら、結構悲惨な状況だった。しかし写真を見て頂ければお分かりだろう、雪こそ舞ったものの、“観光中”は雨に降られることは無く、晴れ間さえ見えていた。我々の旅行は、昔から天候に恵まれる。誰が晴れ男かは分からないが。


 次の旅行はゴールデンウィーク。効率、値段、満足度、どれをも極力犠牲にすることないプランを、今後また考えることになる。雷鳥撮影で何度も訪れている北陸だ。今回より、さらにレベルの高い旅にしてやろうではないか!


 総括:食事代はケチってはいけない。