2013年度夏 ・ サンライズで行く! 瀬戸内海を渡り日本海を眺め太平洋を飛ぶ

 8月15日から18日にかけて、2013年度夏の旅行に行ってきました。今回のメンバーは自分のほか、S君とY君の計3人。K君はお休みです。


【7月下旬】

 恒例、今度の旅行どこ行くか会議開催のため、K君、S君、Y君と落ち合った。スカイツリータウンのフードコートで昼食を取りながら、近くにあった旅行会社からパンフレットをごっそり貰い、しばし作戦会議。

 S君の「姫路城と竹田城行きたい」という発言で、そっち方面へ行くことがまず決定。これを元に、他にどこへ行くか、どんなルートを辿るか、交通手段はどうするか、宿はどうするかなどを考えるも、なかなか案が纏まらない中、予定していた「風立ちぬ」を鑑賞するのであった。

 結局この日に詳細は決まらず、いつも通り、自分が行程を考えることとなった。それは勿論、普通では考え付かないであろうプランになると言うことだ(笑)



【8月15日】

 東京駅に21時半に集合。
 勘のいい方は、この時点でこれから何に乗るのか想像つくだろう。そう、東京発の最後の夜行列車、「サンライズエクスプレス」に乗車する。
 このプランが完成したのは、8月に入ってからだ。ダメもとでサンライズの空席があるか確認したところ、幸運にも残り4部屋という状況で、即刻、自分が立て替え購入した。

 乗車したのは、「サンライズ瀬戸」のB個室シングル。2階が2枚、1階が1枚と言う組み合わせで、シャッフルした上でS君とY君に引いてもらい、余りが自分。2階席が当たった。木目調の壁が清潔感と温かみを醸し出している。コンセントがあるのも嬉しい。立ちあがると窮屈だが、室内は十分な広さで、着替えも余裕でできる。この辺はダブルデッカー構造の強みだ。
 列車は東京を定時に発車。個室であることから、車内をぶらっと探検した後、各自解散となる。購入した駅弁を食べ、シャワーを浴び、しばらく寛いでから就寝した。




【8月16日】

 姫路駅には5時25分に到着。ここで下車し、少し早いが姫路城へ向かう……なんてことはしない。
 瀬戸大橋を渡り、降り立ったのは、終点の高松。7時半頃の到着だ。


 いろいろ考えた結果、こうなった。
 せっかくなのでサンライズで高松へ。讃岐うどんを食べ、船で小豆島、映画村を観光し、船で岡山へ向かう。岡山城を見学した後ホテルにチェックインし、車を借りて、後楽園のライトアップを見に行く……今日のプランはこんな感じだ。車旅行が当たり前だった今日この頃、初心に帰る意味で、この日は公共交通をフル活用するって訳だ。


 讃岐うどん屋は、こんな朝早くからでもやっている。入ったのは、「がいな奴・高松駅前店」。駅を出てまず目に入った店だった。セルフサービスのかき揚げと、梅おろしうどんを注文。麺は太目で食べ応えがあり、梅の風味が絶妙にマッチしていた。
 ※2014年に入ってから調べてみると、食べログでは「掲載保留」との表記が。閉店したとの情報は検索しても引っかからないし、まだ残っているのだろうか。


 腹を満たした後は、船の時刻まで高松城址の玉藻公園を見学。いわゆる城内には入れなかったが、月見櫓や水手御門など、重要文化財を外側から見学できた。資料館のような場所も見学すれば、ちょうどいい時間である。1時間弱の見学を終え、高松港へと向かった。


 高松港から小豆島へと向かう航路は3つ。今回乗るのは、そのうち一番東側の港へ向かう、「高松〜草壁」航路。普通の座席の他、ゆったり座れるソファも備える、大型フェリーだ。乗船時間は約1時間。列車であまり眠れなかったこともあり、甲板から景色を楽しむのも早々に切り上げ、しばし仮眠を取った。


 草壁港から路線バスに揺られて30分。あの有名な「二十四の瞳映画村」に到着した。映画の世界さながらの古い街並みが再現され、学校の教室にも入ることが出来る。



 バスから降りてまず目に留まったのは、「渡し船、欠航」の看板。これはちょっとマズい。この渡し船を使う計画なのだから。メンバー2人には先に観光しておいて貰い、自分は代替手段を考える。勿論、自分はある程度、予め代替手段を考えておくのだが、このとき考えていた“タクシー”が、いない……。観光地なら数台はいるだろうと思い込んだのが失敗だった。タクシー会社に連絡してみると、配車は可能だが、配車も含めて、港までの料金は8,000円程度にはなるだろうとの回答が。……1人2,500円もの臨時出費は避けたい。どうするか。



 ……と、映画村の前に停まっている、レトロなボンネットバスが目を引いた。このバスは映画村と“岬の分教場”のシャトル輸送を行っているものらしいが、なんと! この日は坂手港と言う、映画村の東に位置する港まで運行するとのことだ。これを利用しない手は無い。
 しかし、我々が向かいたいのは島の西にある土庄港。そして船の発車は14時半。うまいこと坂手港と土庄港を結ぶバスがあることを願いたい。
 映画村の職員の方から、バスの時刻表付きパンフを貰い、恐る恐る見てみると……あった、土庄港着14時20分のバス! 乗換時間10分!? しかし、このバスとボンネットバスはきちんと連絡している。小豆島で渋滞が起きるとは考えにくいので、このルートを取ることにした。


 一安心したところでメンバーと合流し、まず向かったのは海沿いに建つ学校。正式名称は“苗羽小学校田浦分校”。教室と職員室のみの小ぢんまりとしたレトロな木造校舎だ。
 小学校であるゆえ、椅子や机はとても小さい。居合わせたグループの方々の集合写真を撮り、入れ替わりで我々も撮ってもらう。三脚の出番無し。



 昼食は館内にある“Cafeシネマ倶楽部”へ。給食セットと言う、揚げパン、カレー、ビン牛乳、冷凍ミカンが付いた懐かしいメニューがあったが、あいにく揚げパンは苦手なので、“カリカリ豚ともろみの醤丼”と言うものを注文した。
 醤丼とは、小豆島のご当地丼ぶり、所謂B級グルメだ。“醤の里”で作られた醤油やもろみを使い、かつ地元素材を使っていれば、特段縛りは無いらしい。魚フライを使ったもの、豚の角煮を使ったもの、海鮮丼風のものなど、店によって具材は異なっている。


 ここで食べたのは、豚肉に もろみを絡めた、何とも箸が進む味付けの丼ぶり。堂々と刺さったキュウリがまた良い。決して しょっぱくもなく、もう1杯いけそうな美味しさだった。

 この後は、壷井栄文学館と言う、資料館を見学。二十四の瞳の原稿などが展示されていた。




 さて、バスの時間が近づいている。つい先ほど仕入れた情報をもとに、映画村前からボンネットバスに乗り込み(無料!)、坂手港を目指す。板張りのレトロなバスは、のんびりと、しかし力強く山道を駆けて行く。
 10分足らずで坂手港に到着し、乗り継ぐバスを待つ……のではなく、停留所1つ分、坂手東バス停まで5分程度歩く。乗り継ぐバスと言うのが、この坂手東が始発なので、確実に座るためだ。
 この判断は正解で、本来の坂手港バス停から、車内はけっこうな混雑に。もっとも、その混雑も草壁港で引いたが、バスで座れるか座れないかと言うのは、重い荷物を背負っている我らにとって、けっこう重要なことだ。


 うたた寝してる間に、バスは土庄港へと近づいて行く。が、混雑の影響か、遅れている。予定到着時刻の14時20分を過ぎているというのに、いっこうに終点放送がかからない。
 ようやく土庄港に着いたのは、14時27分。まさかの3分乗り換え!

 幸いバスはフェリーターミナルの真ん前に到着したため、急いでチケット売り場に向かい、30分のフェリーにまだ乗れるか確認。出航数分前に乗船受付終了と言うこともありえるからだ。これまた幸い、まだ乗船できるとのこと。3人分チケットを購入し、フェリーへダッシュ。……恐らく、ここまで本気でフェリーに駆け込み乗船することなんて、今後起こらないだろう。


 これでひとまず一安心。本来の行程に復帰することが出来た。
 ここから岡山港まで、約70分の船旅だ。カーペットスペースがあったので、ペットボトルを枕に、雑魚寝スタイルでしばし眠りについた。


 目を覚ますと、まわりは下船し始めている。快適な船旅だった。

 岡山港からバスに乗り込み、路線図と航空写真で割り出した、国清水寺前バス停で下車、少し歩いて、これまた航空写真で割り出した門田屋敷電停へ。路面電車で向かうは岡山城



 岡山城は別名“金烏城”とも呼ばれ、その由来は、創建当時の天守に金の鯱が乗っていたことから。城自体は明治期に壊されており、現在の天守閣の姿は、1964年に鉄筋コンクリートで再建されたものである。城と言えば白い壁のイメージがあるが、岡山城は大部分が黒。この外観から単に“烏城”とも呼ばれていたそうだ。
 中に入ってみると、再建物らしくエレベーターがある。順路は上階から辿るようで、まずは最上階から岡山の街を一望する。眼下に広がる街並みと後楽園の緑が対照的だ。以降は展示物を見ながらゆっくり下りていき、1時間とかからず巡回してしまった。



 この後、路面電車で岡山へ行き、徒歩数分で、今宵の宿、“岡山グリーンホテル”に到着。大浴場は無いが、広々とした和洋室で過ごしやすそうだ。
 ここで荷物を置き、徒歩で駅前へ。レンタカーを受け取り、後楽園の期間限定ライトアップを見に再出発した。


 まず問題なのは、駐車場が大混雑で入れない。川沿いに続く赤いライト。ここに入るのは無理だろう。少し歩くことを覚悟して、近くのコインパーキングに車を停めた。
 そしてやって来たのが後楽園。この時期は“幻想庭園”というライトアップイベントが行われていて、21時半まで入場することが出来る。浴衣を着てくると入場無料だとか。かと言ってホテルの浴衣で来る訳にもいかないので、岡山城で購入したセット入場券の側らを見せて入場した。



 目に飛び込んできたのは、一面の青い世界。芝生に青色LEDが敷き詰められていて、まさしく“幻想庭園”だ。茶室や能舞台などの手建物もライトアップされており、その美しさは見ていて飽きない。
 が、人が多すぎて立ち止まって見とれることもできず、流れるように順路を回っていく。“唯心山”と言う、庭園に立体感を生む小さな丘があり、そこから庭園全体を見渡せたようだが、入場規制がかかっていたため泣く泣くスルー。大きな池をぐるりとまわり、後楽園を後にした。


 夕食は、ホテル近くでデミグラスソースかつ丼を堪能。岡山のB級グルメらしい。

 忙しく歩き回った初日は、これで終了した。



【8月17日】

 ホテルで朝食を取り、9時頃に車で出発。高速に乗り、一気に姫路へと移動する。渋滞にはまることもなく、10時過ぎには姫路城に到着した。 

 姫路城は“白鷺城”とも呼ばれており、由来は諸説あるが、前日見学した黒塗りの岡山城“烏城”との対比と言う説がある。
 その岡山城と違い、姫路城は再建ではなく、当時のままの姿。建立は1346年と言われている。戦国、安土桃山、江戸時代を過ぎ、明治期に陸軍の兵営地になったことで多くの建物が壊されたが、天守閣は保存されることとなった。
 その後、太平洋戦争で姫路の街は2度の空襲を受けたが、天守閣に落ちた焼夷弾が不発だったと言う奇跡があり、その姿を現在まで残している。



 さすが世界遺産と言うことだけあって、なかなかの人出。外国人観光客も多い。重厚な門構えの入口を潜り、期待に胸を膨らませた国宝、姫路城。その姿に、思わず目を奪われた。




 ……なにあのカバー?

 なんと、天守閣屋根瓦の全面張替大工事中だとか。
 姫路城の改修工事は昭和にも行われていたが、それから40年以上経ち、再度、保存工事が行われているらしい。それも、一部を解体調査した上で構造補強も伴う大規模なものだとか……。
 そもそもこの工事、2009年から5年計画で行われているものらしい。知らなかった……。

 しかし、どうやらその工事風景を“間近”から見学できるらしい。確かに、例のカバーを見てみると、窓がある。順路の示すまま進んで行くと、プレハブのような建物に続く列を発見した。

 なるほど、エレベーターであの窓付きカバーの所まで登るのか。
 登ってみると、仮設のようなイメージが一変、フローリングの清潔感ある展望台、というイメージだ。窓からは天守閣から見えるであろう風景が広がっていて、少ないながら展示物もある。



 メインの工事現場は、お盆とあってさすがにお休み。それでも天守閣頂上を、こんな間近に外から眺める機会はそう無いだろう。2013年度でここの展示も終了するらしいので、これはこれで、良い見物が出来たと思うことにした。



 姫路と言ったら兵庫、兵庫と言ったら神戸、神戸と言ったら神戸牛!
 と、言うことで、昼食は神戸牛を味わえるレストランに向かうことにしたが、これが間違いだった。

 訪れた1件目は、混雑のため、予約していないと入れない。2件目は、閉店してた。3件目は、閉店してた。オレ達が何をしたって言うんだよ……。
 ここまで来ると神戸牛に縁が無いと割り切り、でも肉は食べたいと言うことで、焼肉屋に直行した。



 満腹になった後は後半戦。
 竹田城と言えば雲海に浮かび上がる姿が有名だが、こんな夏場に雲海が発生する訳がない。ならば見学は夕刻が良いと判断。それまでの時間は、竹田城までの通り道かつ、夏場にぴったりの観光地、“生野銀山”へ行くことにした。


 生野と言えば、2010年の特急はまかぜ撮影で訪れた地。3年ぶりに訪れたが、特に変わりは無かった。
 播但連絡道を下り、山沿いにしばらく走れば、生野銀山が見えてきた。

 なかなかコンパクトな印象で、メインの銀山は、菊の紋章付きの石門を潜った一番奥にある。

 なぜ菊の紋章があるのか。
 生野銀山では、807年に銀が出たと伝えられていて、室町時代に本格的な採掘が始まり、鉱山開坑の起源とも言われている。1567年には日本最大の鉱脈が見つかり、最盛期には、月産560kgもの銀を産出した。
 明治に入ると、生野銀山は日本初の官営鉱山となり、また1889年には、佐渡鉱山とともに皇室財産に移され、宮内省御料局の所管となった。菊の紋章があるのはこのためだ。
 しかしそれは長くは続かず、1896年には民間会社に払い下げられ、国内有数の大鉱山として稼働してきたものの、1973年をもって閉山した。

 ここ生野銀山は、いわゆる史跡である。実際の坑道を見学できるほか、江戸時代と混代の採掘の様子を見学できる。



 坑道入口に近づくと、ひんやりとした風が。中に入ると、一気に冷える。坑道内の気温は15℃程度。所々に水脈っぽいものがあって、時折天井から垂れてくる水にいちいちビクッとする。採掘作業を表現したリアルな人形が自動で動いていたりと、観光的にも、避暑的にも、夏場の見学にもってこいだった。




 銀山の次は、いよいよ竹田城跡へ。
 生野銀山からはすぐそこだが、駐車場までの交通規制に引っ掛かり、駐車場まで約20分かかる。ここから竹田城まで、徒歩でさらに20分だ。道は舗装されているが、急勾配が続き、杖代わりの棒が備えられているほど。車の通行はできないので、見学するには歩かなければならない。この行程に限らず、竹田城内に入ると急な階段や足場が悪い個所が多くあるので、お年寄りが来ることは難しいだろう。

 竹田城については不明な点が多い。一説によると、1431年に築城されたと言われているが、定かではない。
 “天空の城”と言われるように、標高353mの古城山の山頂にあることが大きな特徴で、江戸幕府の方針で廃城されたものの、石垣はほぼそのままの状態で残っている。現存する山城としては、日本屈指の規模だ。
 当初の来客数は年間3万人程度だったものの、2006年に日本100名城の登録、2012年に映画のロケ地に使われるなど知名度は上がっていき、2013年度の来客数は上半期だけで22万人に達したとか。
 知名度が上がるにつれて、問題も発生する。整備・管理負担の増加、迷惑駐車、来客者の事故など。最近では転落事故も発生し、ロープ柵が出来て景観が残念なことになってしまった。


 そんな竹田城跡に我々が訪れたのは、柵が設置される前、かつ入山料徴収前。空に雲はほとんど無し。一番良い時期に訪れたのかもしれない。
 緑が生い茂る中、竹田城の石垣は、堂々と佇んでいた。広大なその土台は、ここにあった城の規模を今に伝えている。古人は、何を思ってここに城を建てたのだろう。天空にそびえるその城は、きっと美しかっただろうな。
 夕日に照らされた石垣は、無骨さを掻き消し、オレンジ色に輝いていた。





 竹田城を堪能した後は、今宵の宿へと向かう。

 車を走らせること20分、福知山市ファームガーデンやくの“夜久野荘”に到着した。ここは元々は研修施設らしく、造りもそれ相応なものだが、泊まるだけなら問題ない。食事処は隣接しているし、露天風呂付きの温泉もある。竹田城からも近く、何より5,000円台で泊まれるのは魅力的だ。

 早速フロントの場所まで迷ったが、対応してくれた職員の方は、なんともフレンドリー。部屋のカギと温泉パス(これ見せればチェックアウトまで何度でもはいれる)を貰い、薄暗く静まり返った宿泊棟に入る。……他に誰も泊まってなかったのかな?
 部屋に入って、期待を裏切られる。研修施設だからと割り切っていた部屋は、広々とした12畳。ウォシュレットトイレに自動給湯の浴槽付(使わないが)。部屋からは山々が見渡せ、普通のホテルと何ら遜色無いのだ。

 少し休んだのち、食事処で夕食を取る。店員の対応が悪かったのはひとまず目を瞑ることにして、ここではご当地のもの……ではなく、普通の定食を注文。温泉にゆっくり浸かり、1日が終わった。



【8月18日】

 旅行最終日。

 現在地は、限りなく兵庫県に近い京都府日本海と瀬戸内海を結ぶ直線を①:②で分けた辺り。
 帰りは神戸空港から飛行機に乗るため、兵庫県側へ戻りながら観光地を順々に廻っていく……なんてことしない。せっかく京都の日本海側にいるのだから、“天橋立”を観光する行程を立てた。勿論、空港とは逆方向である。日本三名園の後楽園を観光したのだから、日本三景である天橋立も行っておきたいという衝動に駆られてのプランニングだ。


 宿を9時頃に出発し、車はナビに従って峠道へ突入。山を突っ切るルートらしい。

 ここで、予てから恐れていた事態に遭遇した。それは、Y君の車酔いだ。予備の酔い止めは、無い。
 Y君を気遣い、停止と徐行で徐々に山を越え、集落に入ったら薬局で薬を買うと言う作戦を取った。今のカーナビは便利で、近隣の薬局も検索してくれる。それでもこの先20kmと出たときは、なぜ初めから高速経由で案内してくれないのかという怒りすら込み上げた。

 ひとまず山は無事越え、ナビの指す薬局へ向かったものの……探せど探せど見つからない。一本裏の道なのか。でも一方通行。仕方なく運転手のS君に車を任せ、自分とY君で裏道に出向いてみた。

 ……が、やはり見当たらない。ちょうど通りかかったおばあちゃんに、事のあらましを話し、薬局があるかどうか尋ねると、どうやら少し前に閉店したようだ。ありゃりゃ。
 これはY君にもう少し我慢してもらうか……と考えた矢崎、おばあちゃんが一言。

「ちょっと待ってて」

 反応する間もなく、おばあちゃんは近くの民家に入り、おじいちゃんを呼ぶ。家の真ん前だったのか。
 おじいちゃんは、胃薬とポカリを持ってきてくれた。
「気分良くなるまで、うちで休んでったらえぇ。横になっていいから」
 と、我々を招き入れてくれたのである。


 おそらくY君もだが、これに自分は感動してしまった。見ず知らずの若者に対して、こんなにも親切にしてくれる老夫婦。水でいいのにポカリを出してくれたこともミソ。
 Y君が寝ころぶのを見届けると、おばあちゃんは外出(もともと外出するところを、我々が声をかけたらしい)。おじいちゃんは車庫(?)へ作業に出てしまった。我々を部屋に残して。万が一我々が盗みを働くなんて、微塵も思っていないようだった。オレオレ詐欺が流行する今日この頃、ちょっとばかり無防備かもしれない。でも、困った人を快く助けてくれて、我々を疑いもしない、我々を信用してくれていると取れるその言動に、さらにもう1回、感動してしまった。

 オレも、こんなおじいちゃんになりたいな。


 しばらくして、Y君の体調も回復。都合よく、S君の運転する車が迂回してやって来た。
 ……そうだ。
 車のトランクを開け、姫路城で買ったお土産袋を取り出す。

 おじいちゃんを呼ぶと、もう大丈夫? ゆっくりしてって良いんだよ、と、どこまでも優しく接してくれる。
 でももう大丈夫だ。こんな親切にしてくれて、“ありがとう”だけでは自分の気が済まない。
 お礼に渡したのは、直径15cmはありそうな“清十郎もなか”。3種の餡と餅が入った大きな最中だが、2人暮らしなら丁度良いだろう。おじいちゃんは受け取ろうとしなかったが、本当に気持ちだからと、受け取ってもらった。
 姫路城でこれを見たとき、その大きさに面白半分で買ったお土産。自分はいつも「単品」のお土産は買わない。きっと、おじいちゃんとおばあちゃんに渡すために、これを手に取ったんだなと今になって思う。



 とてもほっこりした気分で、天橋立に到着した。

 ここではやはり、天橋立を山の上から見下ろして“股覗き”したい。それが可能な場所はどうやら2か所あるようで、どちらにするか決めるのは面倒なので、両方行ってみることに。まずは「傘松エリア」、天橋立を北側から眺める地区へ。

 ……ここで、宿で渡された温泉パスが、胸ポケットに入ったままだったことに気付く。返却すべきものを、持ち出してしまった訳だ。とりあえず宿に謝罪の電話を入れ、後日郵送した。


 さて、天橋立を見下ろすには、山に登る必要がある。その手段と言うのが、ケーブルカーのようなモノレール、もしくは……リフト。リフトと聞くと、スキー場にあるような開放的なものをイメージすると思うが、ここのリフトは、まさしくその通りだった。まさかここでスキー気分を味わえるとは。

 頂上までは、およそ5,6分。天気も良く、ケーブル下には花が植えられていて、時折吹く風が気持ちいい。終点間近で振り返れば、海を貫く天橋立が目に飛び込んできた。



 
 さらに上へ行くルートもあるらしいが、時間的にパス。再びリフトで下り、今度は天橋立を南側から眺める「文殊エリア」へ。天橋立駅や宿泊地が密集しているエリアで、実質、天橋立の中心街と言える。


 ここ傘松エリアからは車で20分程度だが、中心街ならではの問題、駐車場が無い。どこも満車満車で、道が細いため、空きを待つ訳にもいかない。周辺を迂回しながら空きを探していると、どうも民宿の土地を有料で開放している場所に辿り着き、超手狭なスペースに車をおさめることができた。


 ここから山に登る訳だが、またしてもリフトが登場。リフトの方が効率が良いのだろうか。

 頂上は「天橋立ビューランド」になっており、その名の通り、天橋立を見渡せる、小規模な遊園地だ。股覗きスポットもあり、実践してみる。天橋立が天に舞う龍のように見えるらしいが、イマイチ分からなかった。

 いい年こいて遊具に乗るのもアレなので、ここの名所、「飛龍観回廊」という展望台へ。上下左右に入り乱れた通路が山の一角に聳え立ち、様々な角度で天橋立を眺めることができる。その第一印象は、“ジェットコースター作ろうとして失敗しました”。本当に、ジェットコースターのこコースを通路にしたかのような造りになっていて、通路に坂やカーブが多いのが何よりそのイメージを増長させる。……後で調べてみると、この回廊はミニコースターをリニューアルしたものらしい。道理で。




 この後、地上に下り、飲食店街で海鮮丼とかき氷を堪能。どこかのTVロケを発見したが、知らない人だったので、ローカル番組だろうか。


 観光はここまで。あとは帰るだけだ。渋滞も考慮し、14時半頃には天橋立を出発、一気に神戸空港を目指す。……が、まったく渋滞していない。結果、神戸市内に16時半位着いてしまい、19時過ぎの飛行機まで、時間が大幅に余る。


 さすがにこのまま空港に入るのは早すぎるので、周辺の観光地を探すことに。
 ……と言っても、ポートタワーが目立ちすぎる。まわりに目をやると、とても未来チックな乗り物が2つ、展示されていた。これは「超伝導電磁誘導式電磁推進装置」とやらを搭載した実験用の船らしい。川崎重工が製造に関わったためか、ここで保存されているようだ。その川崎重工の博物館、「カワサキワールド」が、その目の前に佇む。ポートタワーをイメージしてか、真っ白な格子状の外観を持ち、さながら翼のよう。

 川崎重工と言えば、鉄道車両も作っているし、これは興味がある。ここに入ろうと向かったところ、ちょうどシャッターが下り始めた。……さすがに17時閉館か。




 だとしたらもうポートタワーしかない。赤い外装が目をひく、砂時計のような形のタワーだ。エレベーターで展望台へ上がると、ここいらメリケンパークを一望できる。内陸方面には六甲山、瀬戸内海方面には青い海とポートアイランドへと続く赤い橋、遠くには離発着する飛行機など、神戸の街を一望できた。感じとしては、横浜でいうマリンタワーに似ていた。


 適度に時間を潰し、神戸空港へと向かう。レンタカーを返却し、航空券の引き換えと邪魔な荷物を預けてしまえば、もうやることはない。牛すじ専門店でカレーを頬張り、展望デッキで夕闇迫る神戸の街を眺めれば、間もなく飛行機の出発時刻。19時発の飛行機で、羽田へと飛び立った。



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 今回の旅行は、正直、詰め込み過ぎた感がある。特に初日。公共交通利用なので時間的制約がどうしても出てしまうが、逆にその方が“旅行してる感”は大きい。

 もっとも、行程に失敗は感じていない。前々から乗りたかったサンライズに乗車し、今や人気爆発の竹田城跡も良い時期に訪れることができた。日本三景天橋立、日本三大庭園の後楽園にも立ち寄れ、かつ全行程で快晴とくれば、満足度も格段に違う。姫路城のカバーは残念だったが、間近で補修状況を見れたので、良しとしよう。

 そして、天橋立のおじいちゃんとおばちゃん。この触れ合いも、満足度に大きく貢献していると、いま振り返ってみても思う。


 カワサキワールドを見学できなかったのが心残りだが、まぁそれも思い出。また改めて来る口実が出来たわけだ。……それが案外早く訪れ、自分でも驚きだった。その話はまた別に。


 2013年はGW、夏ともに西日本を訪れたため、冬休みは東北方面の旅行になるだろう(なった)。
 その時は、いったいどんな強引プランができあがるのだろうか(かなり強引プランになった)。