2014年度GW ・ 北陸を駆け抜けろ!

 2014年のGW旅行は、ずばり北陸! 特急雷鳥が消えてからしばらくご無沙汰していたが、土地勘は衰えてはいない気がする。北陸で観光主体の旅行は初めてになるため、綿密な下準備が必要だ。


【4月19日(土)】

 旅行前恒例の、今度どこいく会議を開催。まずはY君、K君と品川に集合し、この日から上映のコナンの映画を鑑賞。コナンに限らず、実在し、かつ自分の知っている場所が映画の舞台になるとテンションが上がる。まさか○○が○○だったとは……。

 衝撃の事実はさておき、せっかくだからコナンの映画のロケ地巡りをしようとして、品川駅の改札前で思いとどまる。そんなことしている場合じゃない。
 駅の殺風景側に出て、高知に関する居酒屋に腰を下ろす。旅行会社から貰って来たパンフレットを広げ、作戦会議の開始だ。

 それより、この店のカツオが美味い! 藁でカツオを焼くので、旨みと共に香りが口いっぱいに広がる。これは美味いぞ!
 酒は梅酒ならぬポンカン酒をチョイス。これがまたオレンジジュースのようで美味い。料理の方も箸が進む。深海魚の“のれそれ”や川海老のから揚げ、国際司法裁判所に抗議の意を込めてクジラ肉など、高知の名物を平らげる。

 ……そろそろ決めよう。
 なんだかんだでプランは自分が作り、日程は4月26日〜29日、予算は6万に落ち着いた。……出発まで1週間ない。


 さて、旅行は3泊4日。これなら北陸をじっくりまわれる。……と思いきや、K君が28日の休みが取れないらしい。これはまずい。
 なんだかんだで、K君のみ27日に帰る方向に落ち着いたが、プランニングの身としては、けっこうな一大事だ。3泊4日を想定して大まかに作っていたプランは、ほとんど見直し。そのなかで、1泊2日分でK君の行きたい所を巡らなければならない。

 どうするか。泣く泣く一部の観光地をパスし、観光順序を変えたり、移動手段を再考したり、自分の趣味で乗ろうとしていた特急“北越”を“はくたか”に変えたりと、何とか落ち着けるプランを模索。
 ……したら、駆け足にはなるが、2泊3日で事足りることが判明した。これが意味することは、1泊分の宿泊費、レンタカー代が浮くことになる。さらに、旅行初日の“はくたか”の指定が取れなかったこともあり、旅費が大幅に減額。

 やることは一つしかない。

 前回の冬の旅行では、スキーで利用したホテルの夕食に激怒絶望唖然大失敗した。

 もうお分かりだろう、減額分を“ほぼ”ホテルの夕食に注ぎ込んだ。だったら旅費を安くしろよと言われそうだが、そこは国の予算のように、決められた額を意地でも使い切る方向で行こう。これは期待して良いぞ〜。



【4月26日(土)】

 旅行初日、集合は東京駅、6時半。珍しく全員時間通りに集合し、さっさとホームへ移動。6時36分の“Maxたにがわ”に乗車する。1階と2階と平屋どこがいいかと尋ねれば、Y君K君とも2階と答える。ならば4号車の自由席だ。ご存じE4系の1〜3号車の2階は、椅子が倒れないハズレ席。ここで旅の経験が活かされる。
 約1時間半の新幹線は、フラグとして野球盤の話題など、雑談タイム。
 越後湯沢で乗り換え、“はくたか2号”の自由席に腰を下ろす。
 はくたか2号と言えば、2010年1月の北陸遠征でお世話になった列車だ。“北陸”“北越”“はくたか”が運休の中、この“2号”だけ動いたおかげで、キハ58やボンたかを撮影できた、言わば恩人のような列車だ。
 その時の知識で、この“はくたか”にピンポイントで接続する新幹線では、自由席に座ることが出来ないことを知っている。集合時間を早めてまで各駅停車タイプの“たにがわ”に乗ったのは、このためだ。
 案の定、接続便である“Maxとき”からの乗り換え客で、自由席は悲惨の一言。デッキだけでなく、車内の通路にも人が埋まり、トイレに行くのも躊躇する混み具合に。やはり経験による知識は偉大だ。

 越後湯沢周辺は、まだまだ桜が満開だった。そして雪も残っている。東京から1時間ちょっと移動しただけで、これだけの気候の差があることに驚きつつ、寝る。昨夜はプランの見直しや運転ルート確認で遅かったんだ。

 目が覚めると、列車は魚津を過ぎたあたり。混雑も相変わらずで、この光景を見れば、北陸新幹線の開業は必須だと実感できる。


 富山には定刻に到着。まずはK君の希望の1つ、富山ライトレールに乗車する。
 ライトレールはご存知、富山港線を引き継ぐ形で開業した鉄道だ。富山駅周辺をトラム化することで、新たな人の流れを作っている。15分ヘッドの本数が確保され、運賃も嬉しい均一200円。新幹線開業後は富山地鉄路面電車と乗り入れる構想があるなど、今後ますますの発展が期待されている。

 ひと通り撮影、乗車が済んだら、ここからはレンタカーの出番だ。

 ……とその前に。富山に来たならば、自分としては富山地鉄の古いバスを見ておきたかった。“青バス”と呼ばれる古い塗装の、出来れば富士重工7Eを見たい。
 1台バスが現れたが、新塗装の三菱ふそうエアロスター。その車両の全面左下にある「運賃後払い」の幕を見て直感。車内の椅子の色を見て確信。これ、神奈中バスのお古だ。1997年〜2000年の車だろう。昔よくお世話になりました。


 今回のレンタカーはいつものプリウスではなく、カローラフィールダーを利用。その理由の一つは料金を安くするためだが、この減額分は、もちろんホテルの夕食代に充てられている。

 富山城を車窓見学し、北陸道から東海北陸道へ。向かう先は五箇山の合掌造り集落だ。もう少し行けば、より有名な白川郷へも行けるのだが、今回の旅の目的地は“北陸”である。岐阜県の観光は、目的に反することになる。

 富山を出発して1時間程度で、五箇山の“相倉合掌造り集落”に到着した。近い。協力代として駐車に500円支払い、いざ、世界遺産へ!

 その前に昼食だ。お世話になったのは、集落内の茶店“まつや”。土産物屋のような出で立ちだが、きちんとしたレストランだ。
 五箇山と言えば豆腐が有名なので、冷奴と、豆腐の天ぷらを注文。さらに目に留まったコンニャクの刺身を加え、メインは天ざるそば。郷土料理が詰まった“まつや定食”も惹かれたが、そこまで食べられる自信は無いし、夕食のために腹を空けておく必要がある。K君の注文したそれを見て、そのボリュームに、辞めておいて正解だった。ざるそばや天ぷらなどの郷土料理に加え、おにぎりやおいなりさんが付くのだから。

 まず出てきたのは冷奴。箸で掴んで……崩れない。想像以上にしっかりしていて、口に入れれば、旨みが凝縮されているような舌触り。生姜がベストマッチし、これで白米を食べれそうだ。
 コンニャクの刺身は、醤油をぶっかけていただく。白く透き通ったコンニャクは、白身魚のようなイメージと裏腹に、屑きりのような触感。醤油が飛ぶことを恐れずにツルッと啜るのが気持ち良い。

 豆腐の天ぷらは初体験。薄い衣に包まれた豆腐は、冷奴のようにしっかりとしている。味が付いているとのことだが、麺つゆと相性抜群だった。
 天ざるの天ぷらは、野菜を中心としたもの。ごぼう、たまねぎ、なす、えのき。揚げ方が上手いのか、山菜に苦味は無く、麺つゆに浸してかぶりつけば、自然と笑みがこぼれる美味しさだ。

 満腹になったところで、集落をひとまわり。念のため言っておくと、この集落は所謂“博物館”ではなく、実際に住人が住んでいる。住人側からしてみたら、マイホームが観光名所になってしまった、といったところ。以前は観光客が勝手に住居に入って来た――といったトラブルもあったらしい。
 この集落は、あくまで“見る観光”だ。しかし中に入れる合掌造りもある。それが民族館と伝統産業館だ。造りはそのままに、中は簡単な資料館になっていて、入館料は別だが、中は自由に見学できる。

 合掌造りは、雪の多いこの地域に適したものとなっていて、その大きな特徴は、傾斜約60度の屋根。これは雪下ろしを楽にするための構造である。急な階段を登れば、屋根裏に相当する2階、3階部分も見学できる。ここは内側から屋根の構造を知ることができるほか、養蚕の仕組みなど、この土地に文化を知る品々も展示されていた。

 ひと通り集落を見学し終えたら、丘に続く斜面を進む。その小高い丘に登れば、集落を一望できる撮影スポットに到達した。雑然と並ぶようで、一方、統一性も感じる。模型のような世界だ。


 集落を出発し、五箇山IC方面へ。途中の菅沼合掌造り集落を車窓見学し、再び東海北陸道で富山方面へと戻る。次の見学は高岡大仏だが、ちょうどいい時間だったので、メンバーに頼みこみ、高岡〜西高岡の撮影地で特急“北越”を撮影することに。本当にちょうどいい時間で、撮影地に到着後、5分程度で列車がやってくる(そのように見学時間と運転速度を調整したとは口が裂けても言えない)。
 ……が、北越が遅れている。そしてまさかのR編成である。冬の旅行の時と言い、どうもT編成とは相性が悪いようだ。続く475系の普電も撮影し、ようやく高岡大仏へ……は行かず、万葉線の沿線へ。


「あードラえもん列車だー!」(棒読み)

 北陸本線の遅れのせいで、見れないものと思っていた“ドラえもんトラム”。時間は調べておいたので、偶然を装って並走する予定だったが、先に行かれてしまった。しかし所詮は路面電車、すぐに追いつく。窪みに車を止め、ドラえもんを見送った。

 今度こそ高岡大仏だが、見学時間の制限は無いのに、駐車場が閉まっていると言う悲劇。しかし大仏の規模自体は大きくないので、路駐して交代交代で見学した。
 高岡大仏は、日本三大大仏と一部で呼ばれている。と言うのも、奈良、鎌倉の大仏は決定として、第三の大仏を名乗るものが諸説あるからだ。もっとも、奈良・鎌倉と格や歴史で同等と言える大仏は現存せず(今は無き京の大仏くらい)、大きさについても、奈良の大仏のは約15m、鎌倉は約11mに対して、高岡大仏は約7.5mと、比較するにしては少し弱い。

 もうこの時点で18時をまわっているが、日が伸びているおかげで、空はまだオレンジ色。ここから今宵の宿までは、車で30分程度だ。


 今回お世話になるのは、雨晴温泉の“磯はなび”。雨晴海岸を望む小高い丘の上に立つ宿だ。
 この宿は8階建てで、最上階は特別室……と言うか、ワンランク上の部屋だ。我々が泊まるのはもちろん一般の部屋だが、案内されたのは、706号室。そこは7階の……角部屋だ!
 角部屋の利点は色々あるが、今回の場合、2面が窓と言うのが大きい。地形的に、2つの窓から2方向に海が見渡せるのだ。部屋に入って正面の窓からは富山湾を一望、右の窓からも富山湾、遠くには富山の町の夜景も見える。間違いなく、この部屋は一般客室の中で最高ランクと言えるだろう。


 ▲ 遠くに見える富山湾の夜景、室内から。


「あれー野球盤レンタルできるー!」(棒読み)

 なんとこの宿、遊び道具を有料で貸し出してくれる。野球盤は500円、Wiiは2000円(くらいだった気がする)など。野球盤は我々の代からして盛り上がること必須だが、朝が早かったことや、温泉をじっくり味わおうと言うことで、今回は見送った。

 そんなこんなで19時半、待ちに待った夕食だ。
 前回の旅行では期待を見事に裏切られただけあって、今回、自分がどれだけ夕食に重点を置いたか、メンバーに知らしめる時が来た。同じ失敗は二度としない。その失敗を教訓として、更なる高みを目指す。旅先で、旬の物を美味しく頂く。それが旅の醍醐味ではないか。


 食事処の指定の席に着くと、もうこの時点で笑みがこぼれる。綺麗な器におさまった前菜盛り合わせと、名物、氷見うどん。それに茹で蟹がスタンバイ。
 食前酒で乾杯し、最近はまっている梅酒を注文したところで、海沿い宿の定番、刺身の盛り合わせが登場。しかもこれ、宿のサンプル写真を裏切って船盛りで登場したものだから驚きだ! マグロ、甘海老、白エビなど、旬のお刺身が8種類(9種類あったかも)。3人分がきっちり綺麗に盛り付けられ、船盛りの迫力もあって、テンションMAX状態(自分のみ)。特に富山と言えば白エビ。この刺身が美味いのなんの!

 続いて、目の前で揚げたての串揚げ&白エビのから揚げが登場。さっくり香ばしい、絶妙な上げ具合。特にミニトマトの串揚げは新食感だった。
 無言で蟹の身をほじくりながら、湯葉の乗った魚料理、氷見うどんを頂いていく。そしてお待ちかね、わざわざ別注した、富山・氷見の名産と言えば……ホタルイカ

 生のホタルイカを……沖漬のタレにさっと泳がせ……それを鉄板で焼く! “ホタルイカの沖漬焼き”という、珍しい食べ方だ。大ぶりのホタルイカが6匹、生で食べてしまいたい誘惑に駆られながら、鉄板に置く。香ばしい湯気とともにホタルイカがキュッと縮まり、それをさらに沖漬のタレに付けて食べると…………美味い!
 何なんだこの食感は。焼くことでホタルイカの旨みが凝縮され、沖漬のタレとの相性も抜群。これをあと5匹も食べられるなんて……1,200円は安すぎるぞ! これを食べるために再訪したいくらいだ。
 感動は終わらない。料理の〆は、氷見牛のしゃぶしゃぶ。肉は3枚しかないが、騙されてはいけない、これがとんだ化け物だった。肉をよく見ると、霜降りとはまた違うような、きめ細やかな筋が入っている。これを沸騰する鍋にダイブさせてみると……その筋が透き通るように肉に刻まれているではないか。口に運んで納得。あぁ、これは旨みそのものなんだと。

 肉が柔らかい。しゃぶしゃぶは薄い肉なので柔らかくて当然だが、そんな常識を黙らせるほどの柔らかさと、ほどよい脂身。とろける肉とはこのことを言うんだなと、しゃぶしゃぶで実感できるとは思わなかった。3枚の肉は大きく、厚みも気持ち大きめ。それでいてこの味わい深さ、旨み。満足度合を聞かれれば、迷うことなく最高ランクと答えたい。
 ラストのデザートは、ミニケーキ、蕨餅、さくらんぼのゼリー、手作りアイスが食べ放題。満足に満足を重ねられ、いったいこれ以上どう絶賛すればいいのか悩むレベルだ。とにかく、「これで帰っても悔いはない!」と思えるほどに、大満足の夕食だった。

 夕食後。部屋に戻れば、布団が敷かれている。……これはマズい。油断したら寝てしまう。
 温泉へ行こう。ここには2種類の温泉があり、片方は露天風呂付きだ。露天風呂は翌朝のんびり浸かるとして、今夜は内風呂の方へ。申し分ない広さの大浴場と、檜風呂、岩風呂があり、壁には雨晴海岸のタイル画が。掛け流しでは無いが、無色透明無臭の温泉は、さらっとして気持ち良かった。

 翌朝の日の出を見るべく、この日は早くに眠りについた。(0時過ぎでも“早く”に分類される)


【4月27日(日)】

 朝5時のアラームで目を覚まし、窓を見ると明るいが、薄雲がかかっていて太陽の姿は確認できない。
 しかし、ファインダー越しに見れば違った一面を捕えることが出来ることを知っている。デジカメを起動し、ズームで水平線の向こうを覗くと……うっすらと赤い太陽が見えるではないか!

 こうなると、基本的にと言うより本能的にテンションが上がる自分。Y君とK君を叩き起こす。
 ここで角部屋の良さが大いに発揮される。この宿は全室オーシャンビューだが、日の出の向きは若干東側となる。我々の角部屋は……まさしく、朝日の方向に向いていたのだ! すなわち、窓から朝日を眺められる、絶景スポットとなる。この部屋に通してくれた宿の方々には感謝感謝である。

 朝日や夕日と言うものは、10秒も経てば全く違う表情を見せる。靄に隠れた太陽も、だんだんと赤みを増し、みるみるうちに、くっきりと目視できるようになる。海面を赤く照らし、着実に登ってくる太陽。息をのんで見守るとは、まさにこのことだ。

 ある程度登ってしまえば、赤みは消えて、普通の太陽の表情となる。このタイミングで、露天風呂へと向かった。日の出目当ての混雑は解消されていて、ゆっくりと露天風呂に浸かることが出来た。春とは言え、北陸の朝は冷え込む。露天風呂はちょうどいい湯加減だ。この露天風呂からはもちろん海、そして朝日を見ることが出来るが、大きな特徴は、柵が無いことだ。こういった露天風呂の場合、たいてい落下防止の柵があり、そのせいで“浸かりながらの”展望が遮られてしまうものだが、ここではその心配は無用。かと言って危険な訳ではなく、風呂の縁を鋭角に……断面から見て三角形にすることで、足をかけられないようにしている。これはなかなか思いつかない工夫だ。


 朝風呂を楽しんだ後、時刻はまだ6時過ぎ。宿の近くに、源義経が雨宿りしたと言われる“義経岩”なるものがあるので、朝食前にそれを見に行くことにした。
 ……と言う口実で、氷見線のキハを撮影したのは言うまでもない。義経岩まで自分にハンドルを握らせた時点で、Y君とK君に拒否権は存在しないのだ(笑)

 義経岩には、こんな伝説がある。義経が奥州へ落ちのびる途中、突然降り出した雨を避けるため、弁慶が岩を持上げ、そこで雨宿りをした――。ここの地名「雨晴」の由来も、ここからきているらしい。
 義経岩は雨晴海岸沿いにあって、砂浜から見渡す形となる。崩落防止のためか、雨宿りしたと言われる岩の内部はコンクリートで固められていたが、自然に形成されたかと聞かれれば疑問を抱くような雰囲気だ。弁慶が持ち上げたと言われても納得できる。

 ここを見学中、もう1本、氷見線を撮影。こういった自分しか楽しめないシーンも周到に準備しているが、それは決して事前にメンバーに知らせることはない。

 宿に戻れば、朝食の時間だ。今度は完全にバイキングとなるが、種類が豊富で嬉しい。魚の干物が3種、サーモンのカルパッチョや温泉たまご、手作り豆腐、梅干し、味噌汁は蟹入りと、やはり満足だ。


 お土産を購入し、チェックアウトを済ませてホテルを出発。お見送りが無いことには目を瞑るとして、これから目指すのは、石川県のコスモアイル羽咋、宇宙科学博物館だ。

 ここでは宇宙開発に伴う様々な機材を展示していて、レプリカもあれば、実物もある。NASAの特別協力施設というのは、意外と知られてないのではなかろうか。円形の建物で、展示スペースのほか、ホールや図書館、ドーム型天井のプラネタリウムもある。

 10時前には到着し、入場券を購入……しようとしたら、予定していた11時からのシアターが団体で満席とのこと。しかし運良く10時からのシアターに空きがあったため、急いでプラネタリウムへ。ほとんどギリギリで開始に間に合った。宿の出発が3分でも遅れていたら、シアターは諦めざるを得なかっただろう。
 このドーム型プラネタリウムは、100人入れるか入れないか程度の規模で、椅子に浅く腰かけて天井を見上げるように鑑賞する。“スターリーテイルズ”と言う、星座をモチーフにした約30分のシアターだったが、……ごめんなさい。後半寝落ちしました。

 続いて展示室に足を運ぶ。ここにあるのは、宇宙開発、惑星探査に使われた機材が展示されていて、前述のとおり、10あるうちの一部は実物である。その他、宇宙服やUFOをまとめた資料集もあり、スペース的には小規模だが、内部の雰囲気も相まって、なかなか見ごたえがあった。展示物全てに音声ガイドがあるのも好感が持てる。説明書きを読むのは億劫だ。


 ここでもお土産を買い、今回の旅行で初の試み、“お楽しみポイント”へと向かう。
 事前にこれから行く観光地を知らせておらず、事前配信の予定表にも、「***** **:**頃〜**:**頃」と、それっぽく記載しておいた。
 もっとも、羽咋に車で来たのなら、行くべきポイントは1つしかないことに、旅慣れた方ならお気付きだろう。
 そう……“千里浜なぎさドライブウェイ”だ。日本で唯一、車で走れる砂浜である。その理由は、海岸の砂が特別細かく締まっているためで、車はもちろん、人間が立ち入っても、砂に沈むことはない。レンタカーをカローラフィールダーにしたのも、ここをプリウスで走るのは何となく場違いな気がしたからだ。
 走ってみて、多少デコボコはするが、ハンドルを取られるようなことはなく、普通の道と同じような感覚だ。砂浜沿いには屋台が立ち並び、同じようにドライブを楽しむ車が多い。パラソルを出してピクニック気分の家族も見受けられる。
 適当な場所に車を停め、記念撮影。天気も良く、海は青々している。車でこれほど波打ち際に近付くのは、なかなか体験できないことだ。

 ビーチボールは持って来なかったが、K君がコスモアイルでスーパーボールを買っていた。砂浜でキャッチボールとは、またオツである。その開始直前、こちらへ向かってくる観光バスを発見し、離脱して撮影モードへ。こういう時の動きは早いのが、自分の長所であったり短所であったり。やって来たのは、北鉄バスの定期観光便。さすがに路線バスタイプの車両は来ないか。ものの30秒離脱した隙に、スーパーボールが波に奪われていた。オレ触ってないのに……。


 案外長居してしまったが、お次はいよいよ昼食。回転寿司がいいか、海鮮丼がいいか、メンバーにアンケートを取った結果、回転寿司に決定。向かう店はリサーチ済み。“金沢まいもん寿司本店”だ。スムーズに入店するため、旅行前に会員登録済み。それは即ち、たとえメンバーが海鮮丼を選んだとしても、何かしら理由を付けて回転寿司に誘導していたことを意味する。ゲスい話だが、メンバーに対して選択肢を提示するということも、プランナーとしては必要である(それを認めるかどうかは別)。

 事前予約のおかげで、込み合うお昼時の割に、10分程度の待ち時間で席に通される。たまたま和室が当たり、6人席をゆったり占拠させて頂いた。もっとも、この和室は回転寿司のレーンが敷かれていないため、紙に書いて注文するスタイルとなる。
 中トロ、白エビ、のどぐろ、ホタルイカ、あぶり三昧、赤海老などなど。値段を気にしたら負けと言わんばかりに、食べたいものを食べる! たとえ宿や交通費をケチっても、食事だけはケチらないと言うのが自分のポリシー。結果的に、3人で13,000円程度。単純計算4,000円ほどだが、ロードバイクの旅でやらかした、沼津の回転寿司の5,000円より下回った。


 満腹になったところで、お次は“金沢21世紀美術館”へと向かう。香林坊兼六園のすぐ近く、金沢の中心地に位置する現代美術館で、入館料360円は安い。無料開放の展示室も多いことから、なかなか良心的に感じる。建物はコスモアイルに続き、こちらも綺麗な円形。白を基調に、ほぼガラス張りとなっていた。
 地下駐車場に車を停め、館内に入ると、そこには見慣れないエレベーターが。写真は撮っていないが、ジャッキアップをイメージして欲しい。上からケーブルで吊るすのではなく、下から持ち上げる形になっていて、そのお陰で、床下以外、前後左右と天井がガラス張りになっていて開放感抜群だ。

 さすが、現代美術と言うことで、展示物も独創的だ。巨大な穴、何かに封じ込まれた椅子、絨毯素材の絵画など、一口に美術と言っても、表現方法は様々だ。ワイングラスで泳ぐ人や、アルミが乱舞するオブジェ、それに特別展の小屋特集などを見学し、この美術館の有名展示物へ――。
 それは、レアンドロ・エルリッヒの作品「スイミング・プール」。写真を見ると分かるように、普通のプールに見えるが、水中にも入れるという面白いものだ。原理は是非ご自分の目で確かめて欲しい。

 お土産に、どう見てもキャラメルな消しゴムと、叩きつけても割れないコップをノリで購入し、金沢駅へと向かう。ここでK君とはお別れだ。
 時間はギリギリだったものの、K君は無事“はくたか25号”に乗車。東京に22時半頃には帰れるだろう。


 残った自分とY君は、もう1日、北陸に滞在する。この日はこのまま宿へは行かず、金沢の古い街並みを見学することに。
 訪れたのは、「ひがし茶屋街」。重要伝統的建造物群保存地区に指定されているこの地域は、多くの建物が明治初期までに建てられた伝統的な造り。日中こそ多くの観光客で賑わうが、しっとりとした夜の風景もまた絵になる。


 
 がらんと静まり返った街並みをしばし散策した後、金沢駅をちょこっと撮影したところで、今夜の滞在場所へ。そこは勿論、健康ランド“金沢ゆめの湯”だ。

 雷鳥撮影で何度も何度もお世話になり、会員カードまで作ったほどだ。1,750円で温泉に入り放題、仮眠ベッドも使え、タオル、髭剃り、歯ブラシ付き。これに飲み食いプラスして3,000円にすれば、無料招待券がプレゼントされると言う有難い特典も。
 さて、まずは夕食だ。ここに来ると必ず食べる、カレーとナンのセットを注文。ここのナンが本当に美味しい。“プレーンナン”と言って、ほのかな甘みがある。これに中辛カレーを付けると上手い具合に辛さが中和され、絶妙な味わいになるのだ。カレーの種類も、チキン、ポーク、キーマ、エビなど豊富にあるし、お値段も800円前後と良心的。個人的に金沢名物の一つと捉えている。

 温泉に浸かって、館内着に着替え、仮眠ベッドの場所取り的な意味も込めて早めに就寝した。


 ▲ このナンが美味いのナンの!


【4月28日(月)】

 朝7時起床。朝風呂に浸かって身支度整え、予定通り、7時45分に出発。雷鳥全盛期の頃、金沢を6時過ぎに出る4号を撮るため、5時半前には出発していたのが懐かしい。
 北陸道に乗り、一気に福井へ。一般道をしばらく走れば、徐々に緑が増えていき、最初の目的地、永平寺に到着だ。
 坂道に沿って土産物屋が軒を連ね、蕎麦や胡麻豆腐の看板がちらほら。ここ永平寺周辺はきれいな水があるため、それを使った胡麻豆腐が有名らしい。なら食べるしかない。ゆめの湯で朝食を取らなかったのが結果オーライとなり、9時開店の手打ち蕎麦屋“てらうち”で遅い朝食タイム。
 山の中で涼しかったこともあり、温かい山菜蕎麦と胡麻豆腐を注文。まずは胡麻豆腐が運ばれてきたが……これ好きな味だ! 胡麻の風味豊かな、少し粘り気のある豆腐に、胡麻ダレの絶妙な味わいがベストマッチ。あと3個は軽く入る。山菜蕎麦もまた、山菜の程よい歯ごたえが熱い汁によく合う。

 蕎麦をかっこんだ後は、いよいよ永平寺へ。禅の修行で有名な、日本曹洞宗大本山である。
 ここの見学方法と言うのが、少々特殊だ。入館券を券売機で買って、受付でそれを見せて中に入るまでは普通。靴を袋に入れてスリッパに履き替えるのもまだ分かる。問題はこの先だ。
 畳敷きの大広間に通され、しばし待機となる。他の見学者も同じように広間で待機し、ある程度人数が纏まったら、前方にメガネの似合う若い僧が現れた。彼はとても慣れた手つきで、壁にかけられた大きな地図を指しながら、境内の説明を始めた。……そう、ここの見学は、ある意味での時間定員制。貨見物客に対して適時簡単な説明会を実施し、それ以降は流れ解散となる。メガネの彼は、実は修行僧。このように説明会を担当するのも、立派な修行の1つらしい。
 境内は清掃が行き届いた綺麗な廊下で結ばれていて、見学ルートは ほぼ自由。修行僧ですら人生で2回しか通れないという門や、畳敷きの大広間などをじっくる見学階段を登り登り、一番高い位置にある廊下の長椅子に腰を下ろせば、山の緑を広く見渡せ、川のせせらぎが耳を擽る。しっとりとした空間だ。


 見学者が増えて来たので、永平寺を出発。ものの30分車を走らせれば、丸岡城に到着した。

 丸岡城と言えば、天守閣自体は3層(3階建て)の小規模なものだが、その天守閣が、現存では最古の建築様式を持つ。また石垣も特徴的で、“野づら積み”という古い方式。これは隙間が多くて粗雑なように見えるものの、排水が良いため、大雨で崩れる心配がないと言う。まさに、古人の知恵の終結と言った城だ。もちろん、国の重要文化財に指定されている。

 こういった城で自分が最も気にする所は、実は階段である。再建の城だと、学校のようなきれいな階段、はたまたエレベーター付きなんて所もあるが、ここ丸岡城は、まさしく“城!”と言う階段。表現方法に迷うが、階段の基礎が傾斜60度はありそう。そこに段を配置しているものだから、物凄い急な階段となり、上からロープが垂れ下がっている。これを使って登れ、ということだ。
 ひとまず天守閣最上階に登ってしまい、景色を堪能。あいにくの曇り空だが、こうも街中にある城からの眺めと言うのもまた良い。遠くには日本海も見渡せる。冬の空気が澄んだ時期なら、雪山が綺麗だろうな……。
 さて、ここは3層しかないので、見学に時間は要しない。しかし、1階にあった城と城下町の模型に、忍者や犬を探せと言うミッションがあったもんだから、やらない訳にはいかない。結果、見学時間の大部分をここに注ぎ込むこととなった。


 ひと通り満足したので、お次は東尋坊へ。ここへも車で30分程度の移動時間。東尋坊に近付くと、おじちゃんが駐車場へと誘導してくれた……と思ったら、単に自分の土産物屋の駐車場に誘導したいだけだったらしい!
 ……しかし、ここの海鮮丼はなかなか惹かれる。選んでも迷うだけなので、ここで昼食をとることにした。
 “海鮮処 磨呂”。土産物屋かと思いきや、本業は食事処。お昼時だったものの、ほとんど貸し切り状態だった。

 勧められるがままに注文した海鮮丼は、マグロ、ウニ、エビ、カニ、よく分からない何かなど、ボリューム十分。流石、海沿いの町は違う。

 食べ終わってすぐ、東尋坊に出撃。東尋坊とは、率直に言って“崖”である。自殺の名所、なんて側面もあるが、この岩壁の雄大さはなかなかのものだ。天気が悪いのが非常に残念ではあるが、荒い日本海にそそり立つこの岩壁は、見入れば見入るほど、色んな表情を見せてくれる。
 輝石安山岩の岩肌が波によって浸食されてできたものだが、これだけの規模をのものは世界で3か所しかないらしい。極めて貴重な地質とのことで、国の天然記念物及び名勝に指定されている。
 そして何より、柵の類が全くないことが、この景観を一層際立たせている。多くの観光地では、安全のため、危険地帯に柵を設けるのが一般である。最近では、竹田城跡が然り。
 柵が無いことのメリットは、写真を撮りやすいことにもつながる。それは景観的な意味もそうだが、危なっかしいので、人があまり立ち入らないのだ。

 この日も岩肌の奥まで突入していたのは、我々のような若者のみ。うまいこと足場を見つけて、海に下りている人もいる。
 ……なら自分にもできるだろう。岩肌を見極めて、足場を探しながら、少しずつ下って行く。坂とかそういう生易しい物では無く、本当に、崖を下りる感覚だ。自分のように好奇心が強い人間ならば、きっとチャレンジしたくなるはずだ。もっとも、Y君は崖上で待機していたが。


 良い時間なので崖から上がり、先ほどの店でかき氷を食べてから出発。GWとは言え、ロッククライミングのようなことをすれば、当然暑い。

 最後に向かうのは、石川県に入り、那谷寺だ。紅葉と不思議な岩山が有名な那谷寺の歴史は、717年にまで遡る。泰澄法師が越前国江沼郡に千手観音を安置したのが始まりとされているが、南北朝時代の戦乱で荒廃。その後、加賀藩藩主の前田利常が再建し、現在に至る。

 境内は広く、やはり一番の見どころは、“奇岩遊仙境”と呼ばれる岩山だ。海底噴火の跡と伝えられているが、それにしてもこんの形が生まれるとは驚きだ。紅葉の時期に来れば、さぞ美しかっただろう。こちらもまた、柵は無いが岩肌を歩け、小さな祠を拝むことが出来る。

 本殿は小ぶりなものだが、写真のように、浮かせて作られている。そして何より、本殿内部は岩肌の中、岩窟内に造られているのだ。こればかりは、行ってみなければ分からない発見だった。その暗い内部には、那谷寺御本尊千手観世音菩薩が、静かに那谷寺の歴史を伝えている。

 本堂を過ぎ、参拝順路に従って進んで行くと、大きな池が現れる。その先には三重塔、そして、ひときわ目をひく朱色の橋が。これは“楓月橋”と呼ばれている。“橋”とあるが、一般的な、川や池を跨ぐものでは無く、この橋は回廊のようなイメージだ。木々を避けてジグザグ進み、その先に繋がっているのは展望台と“鎮守堂”。ここから眺める奇岩遊仙境が、境内で一番美しいと言われている。

 確かに、展望台から見渡す景色は格別だった。緑に包まれたなか、おおよそ目線の位置に奇岩遊仙境が浮かび上がる。本当に、紅葉の時期に再訪したい。
 最後に那谷寺名物と言う胡麻豆腐を購入し、ヤバい意味で良い時間だったので、那谷寺を後にした。


 ここから一気に富山駅へと戻る。ぐずついていた空から、とうとう雨が降り始める。観光中に一滴も降らなかったのは、いつものことながら、天気運が良かったとしか言えない。
 走り慣れている北陸道、この先渋滞ポイントが無いことは知っていたが、富山市内に入ると混雑が目立ってくる。実は今回のプラン、富山到着に30分ほど余裕を持たせていたのだが、朝、永平寺で蕎麦を食べた30分、まるまる押している。
 移動時間、見学時間を予測して立てた今回のプランが完璧だったことにドヤ顔しつつも、単純にマズい。帰りに乗るのは最終はくたかだし、指定も取ってある。さらには給油もしなければならない。そしてこの渋滞だ。給油はレンタカー屋で精算と言う手もあるが、金沢を過ぎたあたりからガソリン切れマーク点灯、メーターはEmpty。果たして富山駅まで持つかどうか不明だ。
 ひとまず高速下りてすぐのGSに駆け込んで給油。渋滞をちまちま進み、富山駅前、レンタカーを返却したのは、電車の発車10分前。ギリギリ間に合った。


 はくたか25号に乗り込み、爆睡。特急はくたか北陸新幹線開業で廃止となるので惜別の意を込めて……とか微塵も思わずに爆睡。越後湯沢からの新幹線は自由席だが、座れない訳がない。リクライニングを求め1階に突入し、難なく席は確保。そして爆睡。1日で2県4か所をじっくり観光した訳だし、そりゃ疲れますわ。

 東京に到着し、解散。あっけない終了だが、我々の旅はだいたいこんな感じだ。
 一般的に、学生時代の友人と久々に集まり、どこかで遊ぶ、または飲みに行く、というのは誰しも行うことだろう。
 しかし我々の場合、その“集まること”=“旅行”な訳で、“旅行に行く”と言うよりも、“久々に皆と会う”という意味合いが大きいのだ……少なくとも自分は。だから、普通に集まった時のようなノリで解散できる。この年に数回の旅行が、別々の道を進んだ4人を今でも繋いでいる。実はこれ、自分の中の大きな自慢だったりする。


 次回こそは4人で旅行したいところだが、スケジュールだけはどうなるか分からない。まぁ、次回、2014年夏旅行の目的地は、最近めっきり参加できていないもう1人、S君の好みを全面的に取り入れることにしよう。

 そしてS君の口から出た希望地は、苦笑せざるを得ない場所だったのだが……それはまた別のお話し。

 天気セーフ、観光地良し、スケジュール良し、そして何より、ホテルの夕食大満足! 久々に、総合的にグレードが高い旅行となった。