鉄道ファンの暴走・・・その後

 1月26日付で、“鉄道ファンの暴走”(http://d.hatena.ne.jp/miyakaze/20150126/p1)と言う記事を書きましたが、犯人が逮捕されたようです。

 ◆ 建造物侵入容疑:列車警笛に接着剤、19歳逮捕…福島県警毎日新聞webサイトより)
  【 http://mainichi.jp/select/news/20150312k0000m040043000c.html

 〜以下、引用〜

 福島県のJR磐越西線で郡山−会津若松間を結ぶ快速「あいづライナー」の「タイフォン」と呼ばれる警笛部分に接着剤が塗られていた事件で、県警郡山署は11日、不当な目的でJR郡山駅郡山市)に入ったとする建造物侵入容疑で、単位制高校に通う神奈川県内の少年(19)を逮捕した。
 容疑は1月24日、警笛に細工する目的で郡山駅ホームに侵入したとしている。「タイフォンのカバーが開かないように接着剤を使った」と容疑を認めているという。
 同署によると、JR東日本が2月3日に被害届を提出。インターネット上に「カバーが閉じていた方がかっこいい」などと細工を公言する書き込みや、写真などが投稿され同署が捜査したところ少年が浮上した。

 〜引用ここまで〜


 自業自得以外の何者でもありません。

 馬鹿に付ける薬はないとはよく言ったものですが、こういう事実があるということで、抑止力が働いて迷惑行為を働く輩が現れないことに期待したところです。

 一方、“建造物侵入容疑”と言うのも、なかなか考えさせられるものです。
 逮捕しやすい罪名なのかもしれませんが(爪楊枝事件もコレでしたね)、ホーム内で撮影しているのなら、少なくとも何かしらの切符は所持していたはずです。
 それなのに 建造物侵入容疑とは・・・、何となく、JR側が鉄道ファンを迷惑に思っているのではと考えてしまいます。

 実際この少年は迷惑を通り越したよく分からない存在ですが、我々は健全な鉄道ファンであるために、今一度、ルールとマナーを改めるべきなのではないでしょうか。


 とうとう13日には、トワイライト、北越、あいづライナー、妙高などの貴重な列車が運転を終了します。

 大きなトラブルを起こさないよう、静かに最後を迎えてあげましょう。


横浜市営地下鉄の快速ダイヤを妄想する

 このたび横浜市交通局より、平成27年度予算が発表されました。

 【http://www.city.yokohama.lg.jp/koutuu/kigyo/newstopics/2014/news/n20150203-8181-01.html
 ※ リンク先は横浜市交通局のニュースページ



 バスの新車導入であったり、防災対策であったり、普通の内容かとおもわれましたが、その中に、ブルーラインの快速運転の概要が記載されていました。

 同資料によると、以下のことが告知されています。

 ・快速運転は7月のダイヤ改正で誕生し、毎時2本運転。
 ・快速の運転時間は、全日10時から16時の間。
 ・快速は全線において、最大10分程度短縮。
 ・快速停車駅は、湘南台〜戸塚の各駅、上永谷、上大岡、関内、桜木町、横浜、新横浜、新羽〜あざみ野の各駅。
 ・現行の各駅への停車本数(毎時8本)は維持。


 7月にダイヤ改正を行うことが確実のようで、そこで快速が誕生するそうです。
 その快速は、ラッシュを避けた日中に運転し、あざみ野〜湘南台を、現在より10分程度短縮とのことです。

 その停車駅と言うのも、随分と思い切ったなと言う印象。完全に乗り換え駅に絞り込んでおり、いかに速達性を重視したかが現れています。特に横浜〜新横浜無停車は、JRに対抗したとも取れるでしょう。
 通過区間最長の上大岡〜関内は、おおよそ京急が並行しているほか、平日は毎時10本以上の路線バスが完全に並行しており、問題ないと踏み切ったのでしょうか。
 上永谷と新羽は、乗務員交代および緩急接続可能な駅として、停車は妥当。
 新羽からあざみ野は港北ニュータウンに入るので、全駅停車も納得できます。
 戸塚から湘南台について、私はそちらの情勢に詳しくないので、特段コメントは控えておきます。


 そして驚いたのが、“現行の各駅への停車本数維持”。
 てっきり普通を快速に置き換えるとばかり思っていましたが、単純に“快速の増便”となるようです。快速通過駅に不公平感を与えないこの改正は、非常に好感が持てます。


 しかし。
 そうなると一部の区間、特に末端の各駅停車区間は、毎時10本となり、過剰輸送気味となります。いくら黒字だからと言っても、電車を走らせることによる電気代はバカになりません。

 そこでキーとなるであろう文言が、“現行の各駅への停車本数維持”という表現。
 “各駅停車の本数維持”ではなく、“停車本数維持”。似ているようで似ていないこのニュアンスが意味すること、それは、「区間運転の各駅停車が誕生する」ことではないでしょうか。


 あくまで私の妄想なので、流し半分に聞いて頂きたいのですが……。
 快速の各駅停車区間を走る各停は、途中で運転を打ち切る可能性があります。具体的に言うと、新羽までの各停、戸塚までの各停が生まれるのでは、と考えられます。

 ただ、新羽は構造的に簡単に折り返せるものの、戸塚は横浜側に渡り線があるだけで、折り返しは可能ですが、ダイヤ上のネックとなります。
 そこで注目するのが、お隣の踊場駅
 ここは湘南台側に引き上げ線があり、横浜方面から来た列車は、簡単に折り返しが出来ます。現在も踊場行きの列車が存在しており、折り返すのなら、踊場駅が現実的でしょう。


 以上から、ひとつ、ダイヤを妄想してみましょう。


 湘南台行きの快速は、新羽まで各駅に停車し、新羽で、新羽始発の各停に接続。その後快速運転を行い、上永谷で各停に接続。以降、戸塚らか先は各駅に停車。
 ここで、上永谷で接続する各停が湘南台行きだと、運転間隔が極端に短くなってしまうので、この各停は踊場行きであろうと推測します。


 あざみ野行きの快速は、戸塚まで各駅に停車し、上永谷で各停に接続。以降もバンバン飛ばし、新羽から先は各駅に停車。
 ここで、上永谷で接続する各停は、やはり運転間隔の観点から、踊場始発となりそうです。また、新羽では新羽止まりの各停から接続を受ける形となると、運転間隔、本数とも、都合が良さそうです。


 それらを時刻表風に表示してみると……。

 ▼ 湘南台方面行き


 ▼ あざみ野方面行き


 こんな妄想が出来ました。

 もっとも、これは時刻表上から読みとれる範囲で適当に時間を推測したに過ぎず、戸塚〜関内17分、横浜〜新横浜8分は盛り込んでいるものの、実際の快速の所要時間は、確実に変動します。
 また折り返しについても適当に作ったため、現実には、もっと効率的な運用となるはずです。

 そもそも、新羽止まり、踊場止まりの各停が誕生することさえ確実では無いので、何度も言いますが、これは私の妄想に過ぎません。


 実際のダイヤ発表は年度明けか……遅くとも6月には発表されると思いますが、長年お世話になって来た地元の鉄道が大きな転機を迎えるに当たり、色々と考えさせられます。

 そんな思いを形にしたく、今回、ダイヤ妄想と言う形で記事を作成させて頂きました。


鉄道ファンの暴走

 もうご存知の方も多いかと思われますが、鉄道ファンとして“最低”な行為に走った者が現れました。


 【 http://hamusoku.com/archives/8691938.html
 ※ リンク先は、“ハムスター速報”様の当該記事。


 その人間が何をやっているか、何のためにやっているか、コアな鉄道ファンの方なら一目瞭然でしょう。


 タイフォンを接着剤のようなもので固定している――。


 これだけでは分かりにくいかと思いますので説明すると……
 古い電車には、“タイフォン”という機構が先頭に付いていて、それは何かというと、“警笛を鳴らす”ためのものです。
 タイフォンには蓋があって、普段は【写真1】のように閉じていますが、警笛を鳴らすと、【写真2】のように、蓋が空いて警笛が鳴る仕組みです(イメージ)。

 【写真1】↓


 【写真2】↓


 それを接着するとどうなるか――。
 小学生でも分かりますよね。警笛が鳴らなくなります。


 では何故、この人間は、そんなことをしたのでしょうか。

 これも簡単な話で、“蓋が空いていると写真写りが悪いから”です。

 タイフォンを装備している列車は古いものが多く、通常、警笛を鳴らし終えたら閉まるはずの蓋が、空いたままになるケースがあるのです。片側のみ閉まらない、というケースが多いように感じます。
 【写真3】は、そんな“片側のみ蓋が閉まらないタイフォン”のイメージです。……写真写り、悪いと言えば悪いですね。

 【写真3】↓



 要するにこの人間は、

 写真写りが悪いことが許せない! → なら最初から開かないようにしてやれ! 

 と言う、小学生でも思いつかないような幼稚かつ短絡的な衝動で、タイフォンの接着に踏み切ったのだろうと思われます。


 では何故、その人間は、この列車にそのような行為をしたのでしょうか。

 それは、この車両の処遇が怪しいからです。

 まず、郡山〜会津若松を主に運行している「あいづライナー」と言う列車があり、同列車は、3月のダイヤ改正で、運行終了がアナウンスされています。
 次に、この「あいづライナー」ですが、通常は、白とオレンジの車両が使われていて、その車両が検査等で工場に送られている期間のみ、写真の車両が登場します。
 希少価値に希少価値が重なった列車、と言う訳です。


 要するにこの人間は、

 貴重な国鉄車両が希少な列車に入る → けど写真写りが悪いことが許せない! → なら最初から開かないようにしてやれ!

 と言う、全くもって意味不明で自己中心的な衝動で、今回の行為に踏み切ったのでしょう。


 私には理解できません。

 電車にも、“警笛鳴らせ”の標識があります。見通しが悪い場所などで、列車の接近を知らせるための標識です。
 もしこの人間の行為によって警笛が鳴らなくなった場合、列車は安全な運行が出来なくなってしまいます。

 その人間のTwitterを見ると、反省する様子も無ければ、これから“手術します”(タイフォンを固定する意)と書き込んでいるなど、幼稚を通り越して人間性を疑うような反応をしていることが分かります。反吐が出る行為です。

 きっと、鉄道のことを考えるあまり、物事の善悪を考えられない、残念な成長を遂げてしまったんだと思います。

 果たして完全に接着されてしまったのかは分かりませんが(そもそもこんな馬鹿なこと前例が無いので)、万が一、警笛が鳴らないがために事故が発生してしまったら、と思うとゾッとします。

 万が一ですが事故が起こってしまった場合、「往来危険罪」(鉄道若しくはその標識を破壊し、又はその他の方法により、汽車又は電車の往来の危険を生じさせる行為 ※)の適応だと、2年以上の懲役が課せられます。
 また、「汽車電車転覆罪」(人の乗る汽車又は電車を転覆させ、又は破壊する行為 ※)の適応だと、無期懲役か3年以上の懲役が課せられ、死亡事故につながった場合、死刑か無期懲役となります。
 ※ ともにWikipediaから引用。


 後者に問われることは無いかと思いますが、万が一、警笛が鳴らなかったことにより、線路を横断している人が列車の接近に気付かず、人身事故になってしまった……。と言うことも、可能性として、考えられなくはありません。


 同じ趣味を持つ者として、良い写真を撮りたいと言う気持ちは分かります。
 しかしそれは、好条件が重なった奇跡として、“偶然”達成できるからこそ、喜べるのではないでしょうか。撮影場所を調べ、車両運用を調べ、当日の天気、突如湧く雲に冷や汗かきながら、良い写真をモノにする――。それが、鉄道写真を撮ることの醍醐味ではないでしょうか。

 昨今、鉄道ファンのマナーが問題視されている中、こういった、車両に危害を与える行為に走るこの人間が何を考えているのか、私には到底理解できませんし、理解しようとも思いません。
 馬鹿が馬鹿なことを考えるのは勝手ですが、それを実行に移すのは本物の馬鹿であって、酌量の余地すらありません。


 良い写真を撮れるように自分が行動に出た! とヒーロー気取りなのかもしれませんが、タイフォンが開かない=不具合であって、車両交換されてしまっては、そもそも写真を撮れません。
 そういったことまで考えての行動だったのでしょうか。いや、そこまで考えられるような人間では無いでしょう。


 鉄道の撮影には、最低限のマナーがあります。
 一般利用者に迷惑をかけないこと。車両や設備を破壊しないこと。架線柱(または境界点)の内側に入らないこと。
 鉄道写真趣味は、鉄道会社の収益に全く貢献しない、もはや鉄道会社の善意によって成り立っていると言っても過言では無いことを、我々はもっと理解すべきです。


 活躍の場が狭まっていく貴重な国鉄車両に対し、自己中心的な理由で危害を加え、結果、多くの人に迷惑をかけるかもしれない今回の行為。
 とても許せるようなものではなく、怒りが込み上げてきたので、今回記事として執筆させて頂きました。


【 追記 】

 ニュースでも取り上げられ、どうやら刑事告訴も検討されているようです。

 【 http://www.j-cast.com/2015/01/26226214.html
  列車の警笛装置のカバーを接着剤で塞ぐ、トンデモ「撮り鉄」にJR東日本刑事告訴も検討」。J-CASTニュースより。


 身から出た錆、と言いますか、こういう人間を、“自業自得”と言うのでしょうね。

上野東京ライン、詳細発表を受けて考えてみる

【11月3日、内容を一部見直して再投稿しました】


10月30日、JR東日本より、上野東京ラインに関する発表がありました。

資料1:http://www.jreast.co.jp/press/2014/20141022.pdf
資料2:http://www.jreast.co.jp/press/2014/20141021.pdf


 【資料1】では、宇都宮線高崎線常磐線の運行形態について、以下のように述べられています(平日)。






 これを見た限りでは、宇都宮線高崎線がどの程度東海道線と直通運転するか分かりませんが、常磐線系統については、おおよそ実態が見えてきます。
 朝ピーク時間帯の直通本数については、各線不平等なくといったところでしょうか。ただ、中距離電車と特急の乗り入れ無しとなると、恩恵を受ける範囲は限られそうです。


常磐系統について】
 まず大元として、常磐系統の上野東京ライン乗り入れは、朝8時頃に東京に着く列車からとなるようです。
 その便を皮切りに、9時頃までのピーク時は常磐快速のみが5本。
 それ以降日中は、中距離電車の一部のみの乗り入れ。
 夕夜間帯は再び快速のみで、本数は明記されていません。
 特急列車については、朝の乗り入れ無し。日中は全列車が乗り入れ。夕夜間帯は一部のみ乗り入れるようです。


【宇都宮・高崎系統】
 こちらは終日乗り入れるようです。
 朝8時頃から9時頃までに東京駅に着く列車は5本ずつ。
 それ以外の時間帯に関しては、乗り入れ本数は明記されていません。
 また、特急列車についても、記載はありません。


【今後の発表で明らかになるであろう事項】
 ・宇都宮・高崎線は、どの程度の列車が東海道線に直通するのか。
 ・あかぎ、草津、臨時特急は直通するのか。
 ・夜行列車の扱いはどうなるのか(従来通りの発着だろうが)。
 ・常磐線の、日中乗り入れる中距離電車はどの程度なのか。
 ・夕夜間帯の常磐特急はどの程度乗り入れるのか。
 


 さて、実は上野東京ラインより私が注目したのが、【資料2】の方。そこには、新しくなる常磐特急についてまとめられています。


【内容抜粋】
 1.列車名を「ひたち」「ときわ」に変更。
 2.運転区間を品川まで延長。
 3.新たな着席サービスの開始。
 4.上記に伴い、自由席車両の廃止。
 5.特急料金の一新。


・(1)について
 これまでの常磐特急は、速達タイプの「スーパーひたち」と急行的立ち位置の「フレッシュひたち」に分かれていましたが、前者が「ひたち」、後者が「ときわ」に改名されます。
 そもそも485系との区別のために「スーパー」を名乗り、653系の登場で「フレッシュ」が登場したものの、657系に統一された今、改名は当然と言えば当然の流れです。
 この「ときわ」と言う列車名は、元を辿ると1955年に運転を開始した快速列車が始まりです。この列車、3年後の1958年には準急に昇格、さらに1966年に急行に昇格。常磐線を約20年走り続け、1985年に特急「ひたち」の統合される形で名称が消滅しました。それ以来、実に30年ぶりの名称復活となります。
 停車駅に大きな変化は無いと思われるので、これは歓迎されるべき変更でしょう。


・(2)について
 上野東京ライン関係で紹介した通り、常磐特急の一部列車が品川発着となります。
 ただ、日中こそ全列車が品川発着になるものの、夕夜間帯、いわゆる帰宅時間帯は一部のみ、朝に至ってはこれまで通り上野発着。通勤利用者への恩恵は少ないようです。


・(3)(4)(5)について
 一番言いたいのはこれら。新たな特急利用システムとも呼ぶべき制度。


 「ひたち」「ときわ」とも、実質全席指定席となり、指定席券が無いと確実に座れない事態に。
 ただ、新たに設定される「座席未指定券」を購入することで、指定を取らなくても、列車の空いている座席に着席できるようです。
 この「座席未指定券」とは、乗車日と区間のみを指定した(乗車列車は指定しない)特急券で、料金は指定席券と同額です。
 その料金についても、JR東日本いわく「シンプルで分かりやすい」体系に変更され、指定席券については値下げされます。


 以上のように、内容自体は、「スワローあかぎ」に準じたものとなるようです。

 スワローとの変更点として、列車の座席上に、ちょうど普通列車グリーン車のような発券ランプが装備されました。これは、どの区間で座席利用者がいるのか、またどの駅から指定券所持者が乗車してくるのかを示す役割を果たすようです。
 これにより、座席未指定券で着席している場合でも、いつ自分の席の指定券所持者が乗車してくるのか、分かりやすくなります。


 しかし、常磐特急はスワローと違って長距離を走ります。長距離を走る=区間利用者が多い。と、言うことは。

 例えば、いわきから上野まで、「フレッシュひたち20号(現行ダイヤ・改正後は ひたちに統合か)」に、座席未指定券で乗車したとします。
 座席に腰を下ろしても、その席の指定券を持った乗客が来たらどかなければいけないので、ランプを気にしながらの移動です。
 では、どの程度気にしていなければならないかと言うと……。


  07:27 いわき発
   ↓
  07:33 湯本
   ↓
  07:38 泉
   ↓
  07:44 植田
   ↓
  08:00 高萩
   ↓
  08:05 十王
   ↓
  08:13 日立
   ↓
  08:17 常陸多賀
   ↓
  08:21 大甕
   ↓
  08:31 勝田
   ↓
  08:36 水戸
   ↓
  08:48 友部
   ↓
  08:59 石岡
   ↓
  09:09 土浦
   ↓
  09:18 牛久
   ↓
  09:23 佐貫
   ↓
  09:36 柏
   ↓
  09:59 上野着


 実に16回。柏に着くまで5分〜15分毎に停車駅があるため、その都度、16回もランプを確認する必要があるのです。これでは うたた寝も出来ませんし、呑気に駅弁を広げることさえ躊躇います。
 いざ柏を発車しても、終点まで20分程度。高い特急券を購入して、寛げるのはたった20分です。

 速達列車ならもう少しマシにはなりますが、予め窓口で指定を確保しなければ、これまで通り寛ぐことが出来なくなってしまいます。


 そして、色々と問題なのは料金体勢です。

【従来の指定席料金と、新たな指定席料金】

 指定席は問題ありません。ガッツリ値下げされています。

 特に、資料通りの解釈をすれば、勝田から先のA特急料金も見直されることになるので、都心発で勝田より先、大甕までの、従来A特急料金150km区間に関しては、繁忙期だと1,000円もの値下げになります。
 また、各種割引サービスを利用すれば、さらに安くなることが分かっており、これまで指定席を利用していた人にとって万々歳の改定です。

 さらに、資料通りの解釈で考えるとすると、分割購入で安くなる場合も。
 例えば上野から勿来までは200km区間ですが、上野〜石岡(100km区間)+石岡〜勿来(100km区間)と購入した方が、200円安くなります。これは通用するのでしょうか……?


【従来の自由席料金と、座席未指定券料金(=新たな指定席料金)および車内料金】

 そもそも自由席の概念を廃止したことで、一部を除き、値上げされました。

 そしてなんと、首都圏近郊列車のグリーン車のように、車内料金が設定されました。
 これが曲者で、仮に特急券を持たないで乗車してしまった場合、最大で500円の値上げとなってしまいます。


 正直言うと、この“車内料金”だけはやってはいけないと思います。
 「スワローあかぎ」はスワローサービスと名乗っていたのでまだ理解できましたが、普通の特急列車に導入してしまうのは如何なものでしょう。
 勿論、新制度の導入により、車内改札が省略され、移住性向上のほか、車掌の業務負担を軽減する役割も果たしていると思います。
 しかし、だからと言って車内料金は……。


 これまでのように、気軽に特急列車に乗るような場面は、少なくなるのではないでしょうか。
 これがホーム上で指定席券を購入できるならいいのですが、そうでなかった場合、わざわざ改札に入る前に窓口や券売機に並んで購入することとなり、不便極まりない……。
 きちんと周知しなければ、料金に関してトラブルに繋がりかねません。


 車内料金に限らず、近距離利用も敬遠されるのではないでしょうか。特に50km以内でも750円というのは、簡単に出せる金額ではありません。
 特急券を持たずに急いで飛び乗った場合、50km以内で1,010円です。普通列車グリーン車のように、結構ですと言って普通車に逃げることもできません。それこそ乗ったら最後です。


 「ひたち」は、1972年にエル特急に指定されました。自由席を繋いで利用しやすい特急、それがエル特急ですが、この新制度の前には、そんな面影は微塵も感じられません。
 得をするのは、予め指定席券を購入できる、時間に余裕のある人だけです……。


 と、ここまで書きましたが、私は常磐特急ユーザーではありません。
 では何故ここまで危惧しているのかと言うと、“この新制度が別線区に導入される恐れがある”からです。
 もちろん、正式な発表なんて出ていませんが、効率化の観点からすると、この新制度の範囲が広がっても、何らおかしくないのです。


 特に、中央本線、「あずさ」系統。
 元エル特急、B特急料金区間、帰宅ラッシュ時も運行……常磐特急と性質が似ている中央特急。
 しかも、新車の導入予定がある。
 ……もしかすると、その悪夢は現実のものになるかもしれません。
 通勤ライナーや臨時特急が数多く走るので、可能性は低いかもしれませんが……、ホームライナーをスワロー特急に置き換えた前科があるため、安心はできませんね。


 特急列車の新制度。
 料金設定もそれなりの理由があっての改変だとは思いますし、実際に指定席は大幅値下げしています。
 ……が、明らかな指定席券購入への誘導を見るに、“気軽さ”が失われてしまったことは、残念でなりません。
 そして、座席を指定しなければ、寛げる時間さえ、取り除かれてしまうのです。


 こんな特急列車、果たして受け入れられるのでしょうか。
 それは運転が開始されなければ分かりませんが、定着さえすれば便利なものになるでしょうし、あまり良い声が上がらないのであれば、流石に再改変するでしょう。


 上野東京ラインの開業に加え、北陸新幹線も金沢まで開通する、2015年3月のダイヤ改正
 良い面もあれば、どうしても悪い面も見えてしまうのは仕方のないことだと考え、大きく変わるその日を、楽しみに待つこととしましょう。

2014年度GW ・ 北陸を駆け抜けろ!

 2014年のGW旅行は、ずばり北陸! 特急雷鳥が消えてからしばらくご無沙汰していたが、土地勘は衰えてはいない気がする。北陸で観光主体の旅行は初めてになるため、綿密な下準備が必要だ。


【4月19日(土)】

 旅行前恒例の、今度どこいく会議を開催。まずはY君、K君と品川に集合し、この日から上映のコナンの映画を鑑賞。コナンに限らず、実在し、かつ自分の知っている場所が映画の舞台になるとテンションが上がる。まさか○○が○○だったとは……。

 衝撃の事実はさておき、せっかくだからコナンの映画のロケ地巡りをしようとして、品川駅の改札前で思いとどまる。そんなことしている場合じゃない。
 駅の殺風景側に出て、高知に関する居酒屋に腰を下ろす。旅行会社から貰って来たパンフレットを広げ、作戦会議の開始だ。

 それより、この店のカツオが美味い! 藁でカツオを焼くので、旨みと共に香りが口いっぱいに広がる。これは美味いぞ!
 酒は梅酒ならぬポンカン酒をチョイス。これがまたオレンジジュースのようで美味い。料理の方も箸が進む。深海魚の“のれそれ”や川海老のから揚げ、国際司法裁判所に抗議の意を込めてクジラ肉など、高知の名物を平らげる。

 ……そろそろ決めよう。
 なんだかんだでプランは自分が作り、日程は4月26日〜29日、予算は6万に落ち着いた。……出発まで1週間ない。


 さて、旅行は3泊4日。これなら北陸をじっくりまわれる。……と思いきや、K君が28日の休みが取れないらしい。これはまずい。
 なんだかんだで、K君のみ27日に帰る方向に落ち着いたが、プランニングの身としては、けっこうな一大事だ。3泊4日を想定して大まかに作っていたプランは、ほとんど見直し。そのなかで、1泊2日分でK君の行きたい所を巡らなければならない。

 どうするか。泣く泣く一部の観光地をパスし、観光順序を変えたり、移動手段を再考したり、自分の趣味で乗ろうとしていた特急“北越”を“はくたか”に変えたりと、何とか落ち着けるプランを模索。
 ……したら、駆け足にはなるが、2泊3日で事足りることが判明した。これが意味することは、1泊分の宿泊費、レンタカー代が浮くことになる。さらに、旅行初日の“はくたか”の指定が取れなかったこともあり、旅費が大幅に減額。

 やることは一つしかない。

 前回の冬の旅行では、スキーで利用したホテルの夕食に激怒絶望唖然大失敗した。

 もうお分かりだろう、減額分を“ほぼ”ホテルの夕食に注ぎ込んだ。だったら旅費を安くしろよと言われそうだが、そこは国の予算のように、決められた額を意地でも使い切る方向で行こう。これは期待して良いぞ〜。



【4月26日(土)】

 旅行初日、集合は東京駅、6時半。珍しく全員時間通りに集合し、さっさとホームへ移動。6時36分の“Maxたにがわ”に乗車する。1階と2階と平屋どこがいいかと尋ねれば、Y君K君とも2階と答える。ならば4号車の自由席だ。ご存じE4系の1〜3号車の2階は、椅子が倒れないハズレ席。ここで旅の経験が活かされる。
 約1時間半の新幹線は、フラグとして野球盤の話題など、雑談タイム。
 越後湯沢で乗り換え、“はくたか2号”の自由席に腰を下ろす。
 はくたか2号と言えば、2010年1月の北陸遠征でお世話になった列車だ。“北陸”“北越”“はくたか”が運休の中、この“2号”だけ動いたおかげで、キハ58やボンたかを撮影できた、言わば恩人のような列車だ。
 その時の知識で、この“はくたか”にピンポイントで接続する新幹線では、自由席に座ることが出来ないことを知っている。集合時間を早めてまで各駅停車タイプの“たにがわ”に乗ったのは、このためだ。
 案の定、接続便である“Maxとき”からの乗り換え客で、自由席は悲惨の一言。デッキだけでなく、車内の通路にも人が埋まり、トイレに行くのも躊躇する混み具合に。やはり経験による知識は偉大だ。

 越後湯沢周辺は、まだまだ桜が満開だった。そして雪も残っている。東京から1時間ちょっと移動しただけで、これだけの気候の差があることに驚きつつ、寝る。昨夜はプランの見直しや運転ルート確認で遅かったんだ。

 目が覚めると、列車は魚津を過ぎたあたり。混雑も相変わらずで、この光景を見れば、北陸新幹線の開業は必須だと実感できる。


 富山には定刻に到着。まずはK君の希望の1つ、富山ライトレールに乗車する。
 ライトレールはご存知、富山港線を引き継ぐ形で開業した鉄道だ。富山駅周辺をトラム化することで、新たな人の流れを作っている。15分ヘッドの本数が確保され、運賃も嬉しい均一200円。新幹線開業後は富山地鉄路面電車と乗り入れる構想があるなど、今後ますますの発展が期待されている。

 ひと通り撮影、乗車が済んだら、ここからはレンタカーの出番だ。

 ……とその前に。富山に来たならば、自分としては富山地鉄の古いバスを見ておきたかった。“青バス”と呼ばれる古い塗装の、出来れば富士重工7Eを見たい。
 1台バスが現れたが、新塗装の三菱ふそうエアロスター。その車両の全面左下にある「運賃後払い」の幕を見て直感。車内の椅子の色を見て確信。これ、神奈中バスのお古だ。1997年〜2000年の車だろう。昔よくお世話になりました。


 今回のレンタカーはいつものプリウスではなく、カローラフィールダーを利用。その理由の一つは料金を安くするためだが、この減額分は、もちろんホテルの夕食代に充てられている。

 富山城を車窓見学し、北陸道から東海北陸道へ。向かう先は五箇山の合掌造り集落だ。もう少し行けば、より有名な白川郷へも行けるのだが、今回の旅の目的地は“北陸”である。岐阜県の観光は、目的に反することになる。

 富山を出発して1時間程度で、五箇山の“相倉合掌造り集落”に到着した。近い。協力代として駐車に500円支払い、いざ、世界遺産へ!

 その前に昼食だ。お世話になったのは、集落内の茶店“まつや”。土産物屋のような出で立ちだが、きちんとしたレストランだ。
 五箇山と言えば豆腐が有名なので、冷奴と、豆腐の天ぷらを注文。さらに目に留まったコンニャクの刺身を加え、メインは天ざるそば。郷土料理が詰まった“まつや定食”も惹かれたが、そこまで食べられる自信は無いし、夕食のために腹を空けておく必要がある。K君の注文したそれを見て、そのボリュームに、辞めておいて正解だった。ざるそばや天ぷらなどの郷土料理に加え、おにぎりやおいなりさんが付くのだから。

 まず出てきたのは冷奴。箸で掴んで……崩れない。想像以上にしっかりしていて、口に入れれば、旨みが凝縮されているような舌触り。生姜がベストマッチし、これで白米を食べれそうだ。
 コンニャクの刺身は、醤油をぶっかけていただく。白く透き通ったコンニャクは、白身魚のようなイメージと裏腹に、屑きりのような触感。醤油が飛ぶことを恐れずにツルッと啜るのが気持ち良い。

 豆腐の天ぷらは初体験。薄い衣に包まれた豆腐は、冷奴のようにしっかりとしている。味が付いているとのことだが、麺つゆと相性抜群だった。
 天ざるの天ぷらは、野菜を中心としたもの。ごぼう、たまねぎ、なす、えのき。揚げ方が上手いのか、山菜に苦味は無く、麺つゆに浸してかぶりつけば、自然と笑みがこぼれる美味しさだ。

 満腹になったところで、集落をひとまわり。念のため言っておくと、この集落は所謂“博物館”ではなく、実際に住人が住んでいる。住人側からしてみたら、マイホームが観光名所になってしまった、といったところ。以前は観光客が勝手に住居に入って来た――といったトラブルもあったらしい。
 この集落は、あくまで“見る観光”だ。しかし中に入れる合掌造りもある。それが民族館と伝統産業館だ。造りはそのままに、中は簡単な資料館になっていて、入館料は別だが、中は自由に見学できる。

 合掌造りは、雪の多いこの地域に適したものとなっていて、その大きな特徴は、傾斜約60度の屋根。これは雪下ろしを楽にするための構造である。急な階段を登れば、屋根裏に相当する2階、3階部分も見学できる。ここは内側から屋根の構造を知ることができるほか、養蚕の仕組みなど、この土地に文化を知る品々も展示されていた。

 ひと通り集落を見学し終えたら、丘に続く斜面を進む。その小高い丘に登れば、集落を一望できる撮影スポットに到達した。雑然と並ぶようで、一方、統一性も感じる。模型のような世界だ。


 集落を出発し、五箇山IC方面へ。途中の菅沼合掌造り集落を車窓見学し、再び東海北陸道で富山方面へと戻る。次の見学は高岡大仏だが、ちょうどいい時間だったので、メンバーに頼みこみ、高岡〜西高岡の撮影地で特急“北越”を撮影することに。本当にちょうどいい時間で、撮影地に到着後、5分程度で列車がやってくる(そのように見学時間と運転速度を調整したとは口が裂けても言えない)。
 ……が、北越が遅れている。そしてまさかのR編成である。冬の旅行の時と言い、どうもT編成とは相性が悪いようだ。続く475系の普電も撮影し、ようやく高岡大仏へ……は行かず、万葉線の沿線へ。


「あードラえもん列車だー!」(棒読み)

 北陸本線の遅れのせいで、見れないものと思っていた“ドラえもんトラム”。時間は調べておいたので、偶然を装って並走する予定だったが、先に行かれてしまった。しかし所詮は路面電車、すぐに追いつく。窪みに車を止め、ドラえもんを見送った。

 今度こそ高岡大仏だが、見学時間の制限は無いのに、駐車場が閉まっていると言う悲劇。しかし大仏の規模自体は大きくないので、路駐して交代交代で見学した。
 高岡大仏は、日本三大大仏と一部で呼ばれている。と言うのも、奈良、鎌倉の大仏は決定として、第三の大仏を名乗るものが諸説あるからだ。もっとも、奈良・鎌倉と格や歴史で同等と言える大仏は現存せず(今は無き京の大仏くらい)、大きさについても、奈良の大仏のは約15m、鎌倉は約11mに対して、高岡大仏は約7.5mと、比較するにしては少し弱い。

 もうこの時点で18時をまわっているが、日が伸びているおかげで、空はまだオレンジ色。ここから今宵の宿までは、車で30分程度だ。


 今回お世話になるのは、雨晴温泉の“磯はなび”。雨晴海岸を望む小高い丘の上に立つ宿だ。
 この宿は8階建てで、最上階は特別室……と言うか、ワンランク上の部屋だ。我々が泊まるのはもちろん一般の部屋だが、案内されたのは、706号室。そこは7階の……角部屋だ!
 角部屋の利点は色々あるが、今回の場合、2面が窓と言うのが大きい。地形的に、2つの窓から2方向に海が見渡せるのだ。部屋に入って正面の窓からは富山湾を一望、右の窓からも富山湾、遠くには富山の町の夜景も見える。間違いなく、この部屋は一般客室の中で最高ランクと言えるだろう。


 ▲ 遠くに見える富山湾の夜景、室内から。


「あれー野球盤レンタルできるー!」(棒読み)

 なんとこの宿、遊び道具を有料で貸し出してくれる。野球盤は500円、Wiiは2000円(くらいだった気がする)など。野球盤は我々の代からして盛り上がること必須だが、朝が早かったことや、温泉をじっくり味わおうと言うことで、今回は見送った。

 そんなこんなで19時半、待ちに待った夕食だ。
 前回の旅行では期待を見事に裏切られただけあって、今回、自分がどれだけ夕食に重点を置いたか、メンバーに知らしめる時が来た。同じ失敗は二度としない。その失敗を教訓として、更なる高みを目指す。旅先で、旬の物を美味しく頂く。それが旅の醍醐味ではないか。


 食事処の指定の席に着くと、もうこの時点で笑みがこぼれる。綺麗な器におさまった前菜盛り合わせと、名物、氷見うどん。それに茹で蟹がスタンバイ。
 食前酒で乾杯し、最近はまっている梅酒を注文したところで、海沿い宿の定番、刺身の盛り合わせが登場。しかもこれ、宿のサンプル写真を裏切って船盛りで登場したものだから驚きだ! マグロ、甘海老、白エビなど、旬のお刺身が8種類(9種類あったかも)。3人分がきっちり綺麗に盛り付けられ、船盛りの迫力もあって、テンションMAX状態(自分のみ)。特に富山と言えば白エビ。この刺身が美味いのなんの!

 続いて、目の前で揚げたての串揚げ&白エビのから揚げが登場。さっくり香ばしい、絶妙な上げ具合。特にミニトマトの串揚げは新食感だった。
 無言で蟹の身をほじくりながら、湯葉の乗った魚料理、氷見うどんを頂いていく。そしてお待ちかね、わざわざ別注した、富山・氷見の名産と言えば……ホタルイカ

 生のホタルイカを……沖漬のタレにさっと泳がせ……それを鉄板で焼く! “ホタルイカの沖漬焼き”という、珍しい食べ方だ。大ぶりのホタルイカが6匹、生で食べてしまいたい誘惑に駆られながら、鉄板に置く。香ばしい湯気とともにホタルイカがキュッと縮まり、それをさらに沖漬のタレに付けて食べると…………美味い!
 何なんだこの食感は。焼くことでホタルイカの旨みが凝縮され、沖漬のタレとの相性も抜群。これをあと5匹も食べられるなんて……1,200円は安すぎるぞ! これを食べるために再訪したいくらいだ。
 感動は終わらない。料理の〆は、氷見牛のしゃぶしゃぶ。肉は3枚しかないが、騙されてはいけない、これがとんだ化け物だった。肉をよく見ると、霜降りとはまた違うような、きめ細やかな筋が入っている。これを沸騰する鍋にダイブさせてみると……その筋が透き通るように肉に刻まれているではないか。口に運んで納得。あぁ、これは旨みそのものなんだと。

 肉が柔らかい。しゃぶしゃぶは薄い肉なので柔らかくて当然だが、そんな常識を黙らせるほどの柔らかさと、ほどよい脂身。とろける肉とはこのことを言うんだなと、しゃぶしゃぶで実感できるとは思わなかった。3枚の肉は大きく、厚みも気持ち大きめ。それでいてこの味わい深さ、旨み。満足度合を聞かれれば、迷うことなく最高ランクと答えたい。
 ラストのデザートは、ミニケーキ、蕨餅、さくらんぼのゼリー、手作りアイスが食べ放題。満足に満足を重ねられ、いったいこれ以上どう絶賛すればいいのか悩むレベルだ。とにかく、「これで帰っても悔いはない!」と思えるほどに、大満足の夕食だった。

 夕食後。部屋に戻れば、布団が敷かれている。……これはマズい。油断したら寝てしまう。
 温泉へ行こう。ここには2種類の温泉があり、片方は露天風呂付きだ。露天風呂は翌朝のんびり浸かるとして、今夜は内風呂の方へ。申し分ない広さの大浴場と、檜風呂、岩風呂があり、壁には雨晴海岸のタイル画が。掛け流しでは無いが、無色透明無臭の温泉は、さらっとして気持ち良かった。

 翌朝の日の出を見るべく、この日は早くに眠りについた。(0時過ぎでも“早く”に分類される)


【4月27日(日)】

 朝5時のアラームで目を覚まし、窓を見ると明るいが、薄雲がかかっていて太陽の姿は確認できない。
 しかし、ファインダー越しに見れば違った一面を捕えることが出来ることを知っている。デジカメを起動し、ズームで水平線の向こうを覗くと……うっすらと赤い太陽が見えるではないか!

 こうなると、基本的にと言うより本能的にテンションが上がる自分。Y君とK君を叩き起こす。
 ここで角部屋の良さが大いに発揮される。この宿は全室オーシャンビューだが、日の出の向きは若干東側となる。我々の角部屋は……まさしく、朝日の方向に向いていたのだ! すなわち、窓から朝日を眺められる、絶景スポットとなる。この部屋に通してくれた宿の方々には感謝感謝である。

 朝日や夕日と言うものは、10秒も経てば全く違う表情を見せる。靄に隠れた太陽も、だんだんと赤みを増し、みるみるうちに、くっきりと目視できるようになる。海面を赤く照らし、着実に登ってくる太陽。息をのんで見守るとは、まさにこのことだ。

 ある程度登ってしまえば、赤みは消えて、普通の太陽の表情となる。このタイミングで、露天風呂へと向かった。日の出目当ての混雑は解消されていて、ゆっくりと露天風呂に浸かることが出来た。春とは言え、北陸の朝は冷え込む。露天風呂はちょうどいい湯加減だ。この露天風呂からはもちろん海、そして朝日を見ることが出来るが、大きな特徴は、柵が無いことだ。こういった露天風呂の場合、たいてい落下防止の柵があり、そのせいで“浸かりながらの”展望が遮られてしまうものだが、ここではその心配は無用。かと言って危険な訳ではなく、風呂の縁を鋭角に……断面から見て三角形にすることで、足をかけられないようにしている。これはなかなか思いつかない工夫だ。


 朝風呂を楽しんだ後、時刻はまだ6時過ぎ。宿の近くに、源義経が雨宿りしたと言われる“義経岩”なるものがあるので、朝食前にそれを見に行くことにした。
 ……と言う口実で、氷見線のキハを撮影したのは言うまでもない。義経岩まで自分にハンドルを握らせた時点で、Y君とK君に拒否権は存在しないのだ(笑)

 義経岩には、こんな伝説がある。義経が奥州へ落ちのびる途中、突然降り出した雨を避けるため、弁慶が岩を持上げ、そこで雨宿りをした――。ここの地名「雨晴」の由来も、ここからきているらしい。
 義経岩は雨晴海岸沿いにあって、砂浜から見渡す形となる。崩落防止のためか、雨宿りしたと言われる岩の内部はコンクリートで固められていたが、自然に形成されたかと聞かれれば疑問を抱くような雰囲気だ。弁慶が持ち上げたと言われても納得できる。

 ここを見学中、もう1本、氷見線を撮影。こういった自分しか楽しめないシーンも周到に準備しているが、それは決して事前にメンバーに知らせることはない。

 宿に戻れば、朝食の時間だ。今度は完全にバイキングとなるが、種類が豊富で嬉しい。魚の干物が3種、サーモンのカルパッチョや温泉たまご、手作り豆腐、梅干し、味噌汁は蟹入りと、やはり満足だ。


 お土産を購入し、チェックアウトを済ませてホテルを出発。お見送りが無いことには目を瞑るとして、これから目指すのは、石川県のコスモアイル羽咋、宇宙科学博物館だ。

 ここでは宇宙開発に伴う様々な機材を展示していて、レプリカもあれば、実物もある。NASAの特別協力施設というのは、意外と知られてないのではなかろうか。円形の建物で、展示スペースのほか、ホールや図書館、ドーム型天井のプラネタリウムもある。

 10時前には到着し、入場券を購入……しようとしたら、予定していた11時からのシアターが団体で満席とのこと。しかし運良く10時からのシアターに空きがあったため、急いでプラネタリウムへ。ほとんどギリギリで開始に間に合った。宿の出発が3分でも遅れていたら、シアターは諦めざるを得なかっただろう。
 このドーム型プラネタリウムは、100人入れるか入れないか程度の規模で、椅子に浅く腰かけて天井を見上げるように鑑賞する。“スターリーテイルズ”と言う、星座をモチーフにした約30分のシアターだったが、……ごめんなさい。後半寝落ちしました。

 続いて展示室に足を運ぶ。ここにあるのは、宇宙開発、惑星探査に使われた機材が展示されていて、前述のとおり、10あるうちの一部は実物である。その他、宇宙服やUFOをまとめた資料集もあり、スペース的には小規模だが、内部の雰囲気も相まって、なかなか見ごたえがあった。展示物全てに音声ガイドがあるのも好感が持てる。説明書きを読むのは億劫だ。


 ここでもお土産を買い、今回の旅行で初の試み、“お楽しみポイント”へと向かう。
 事前にこれから行く観光地を知らせておらず、事前配信の予定表にも、「***** **:**頃〜**:**頃」と、それっぽく記載しておいた。
 もっとも、羽咋に車で来たのなら、行くべきポイントは1つしかないことに、旅慣れた方ならお気付きだろう。
 そう……“千里浜なぎさドライブウェイ”だ。日本で唯一、車で走れる砂浜である。その理由は、海岸の砂が特別細かく締まっているためで、車はもちろん、人間が立ち入っても、砂に沈むことはない。レンタカーをカローラフィールダーにしたのも、ここをプリウスで走るのは何となく場違いな気がしたからだ。
 走ってみて、多少デコボコはするが、ハンドルを取られるようなことはなく、普通の道と同じような感覚だ。砂浜沿いには屋台が立ち並び、同じようにドライブを楽しむ車が多い。パラソルを出してピクニック気分の家族も見受けられる。
 適当な場所に車を停め、記念撮影。天気も良く、海は青々している。車でこれほど波打ち際に近付くのは、なかなか体験できないことだ。

 ビーチボールは持って来なかったが、K君がコスモアイルでスーパーボールを買っていた。砂浜でキャッチボールとは、またオツである。その開始直前、こちらへ向かってくる観光バスを発見し、離脱して撮影モードへ。こういう時の動きは早いのが、自分の長所であったり短所であったり。やって来たのは、北鉄バスの定期観光便。さすがに路線バスタイプの車両は来ないか。ものの30秒離脱した隙に、スーパーボールが波に奪われていた。オレ触ってないのに……。


 案外長居してしまったが、お次はいよいよ昼食。回転寿司がいいか、海鮮丼がいいか、メンバーにアンケートを取った結果、回転寿司に決定。向かう店はリサーチ済み。“金沢まいもん寿司本店”だ。スムーズに入店するため、旅行前に会員登録済み。それは即ち、たとえメンバーが海鮮丼を選んだとしても、何かしら理由を付けて回転寿司に誘導していたことを意味する。ゲスい話だが、メンバーに対して選択肢を提示するということも、プランナーとしては必要である(それを認めるかどうかは別)。

 事前予約のおかげで、込み合うお昼時の割に、10分程度の待ち時間で席に通される。たまたま和室が当たり、6人席をゆったり占拠させて頂いた。もっとも、この和室は回転寿司のレーンが敷かれていないため、紙に書いて注文するスタイルとなる。
 中トロ、白エビ、のどぐろ、ホタルイカ、あぶり三昧、赤海老などなど。値段を気にしたら負けと言わんばかりに、食べたいものを食べる! たとえ宿や交通費をケチっても、食事だけはケチらないと言うのが自分のポリシー。結果的に、3人で13,000円程度。単純計算4,000円ほどだが、ロードバイクの旅でやらかした、沼津の回転寿司の5,000円より下回った。


 満腹になったところで、お次は“金沢21世紀美術館”へと向かう。香林坊兼六園のすぐ近く、金沢の中心地に位置する現代美術館で、入館料360円は安い。無料開放の展示室も多いことから、なかなか良心的に感じる。建物はコスモアイルに続き、こちらも綺麗な円形。白を基調に、ほぼガラス張りとなっていた。
 地下駐車場に車を停め、館内に入ると、そこには見慣れないエレベーターが。写真は撮っていないが、ジャッキアップをイメージして欲しい。上からケーブルで吊るすのではなく、下から持ち上げる形になっていて、そのお陰で、床下以外、前後左右と天井がガラス張りになっていて開放感抜群だ。

 さすが、現代美術と言うことで、展示物も独創的だ。巨大な穴、何かに封じ込まれた椅子、絨毯素材の絵画など、一口に美術と言っても、表現方法は様々だ。ワイングラスで泳ぐ人や、アルミが乱舞するオブジェ、それに特別展の小屋特集などを見学し、この美術館の有名展示物へ――。
 それは、レアンドロ・エルリッヒの作品「スイミング・プール」。写真を見ると分かるように、普通のプールに見えるが、水中にも入れるという面白いものだ。原理は是非ご自分の目で確かめて欲しい。

 お土産に、どう見てもキャラメルな消しゴムと、叩きつけても割れないコップをノリで購入し、金沢駅へと向かう。ここでK君とはお別れだ。
 時間はギリギリだったものの、K君は無事“はくたか25号”に乗車。東京に22時半頃には帰れるだろう。


 残った自分とY君は、もう1日、北陸に滞在する。この日はこのまま宿へは行かず、金沢の古い街並みを見学することに。
 訪れたのは、「ひがし茶屋街」。重要伝統的建造物群保存地区に指定されているこの地域は、多くの建物が明治初期までに建てられた伝統的な造り。日中こそ多くの観光客で賑わうが、しっとりとした夜の風景もまた絵になる。


 
 がらんと静まり返った街並みをしばし散策した後、金沢駅をちょこっと撮影したところで、今夜の滞在場所へ。そこは勿論、健康ランド“金沢ゆめの湯”だ。

 雷鳥撮影で何度も何度もお世話になり、会員カードまで作ったほどだ。1,750円で温泉に入り放題、仮眠ベッドも使え、タオル、髭剃り、歯ブラシ付き。これに飲み食いプラスして3,000円にすれば、無料招待券がプレゼントされると言う有難い特典も。
 さて、まずは夕食だ。ここに来ると必ず食べる、カレーとナンのセットを注文。ここのナンが本当に美味しい。“プレーンナン”と言って、ほのかな甘みがある。これに中辛カレーを付けると上手い具合に辛さが中和され、絶妙な味わいになるのだ。カレーの種類も、チキン、ポーク、キーマ、エビなど豊富にあるし、お値段も800円前後と良心的。個人的に金沢名物の一つと捉えている。

 温泉に浸かって、館内着に着替え、仮眠ベッドの場所取り的な意味も込めて早めに就寝した。


 ▲ このナンが美味いのナンの!


【4月28日(月)】

 朝7時起床。朝風呂に浸かって身支度整え、予定通り、7時45分に出発。雷鳥全盛期の頃、金沢を6時過ぎに出る4号を撮るため、5時半前には出発していたのが懐かしい。
 北陸道に乗り、一気に福井へ。一般道をしばらく走れば、徐々に緑が増えていき、最初の目的地、永平寺に到着だ。
 坂道に沿って土産物屋が軒を連ね、蕎麦や胡麻豆腐の看板がちらほら。ここ永平寺周辺はきれいな水があるため、それを使った胡麻豆腐が有名らしい。なら食べるしかない。ゆめの湯で朝食を取らなかったのが結果オーライとなり、9時開店の手打ち蕎麦屋“てらうち”で遅い朝食タイム。
 山の中で涼しかったこともあり、温かい山菜蕎麦と胡麻豆腐を注文。まずは胡麻豆腐が運ばれてきたが……これ好きな味だ! 胡麻の風味豊かな、少し粘り気のある豆腐に、胡麻ダレの絶妙な味わいがベストマッチ。あと3個は軽く入る。山菜蕎麦もまた、山菜の程よい歯ごたえが熱い汁によく合う。

 蕎麦をかっこんだ後は、いよいよ永平寺へ。禅の修行で有名な、日本曹洞宗大本山である。
 ここの見学方法と言うのが、少々特殊だ。入館券を券売機で買って、受付でそれを見せて中に入るまでは普通。靴を袋に入れてスリッパに履き替えるのもまだ分かる。問題はこの先だ。
 畳敷きの大広間に通され、しばし待機となる。他の見学者も同じように広間で待機し、ある程度人数が纏まったら、前方にメガネの似合う若い僧が現れた。彼はとても慣れた手つきで、壁にかけられた大きな地図を指しながら、境内の説明を始めた。……そう、ここの見学は、ある意味での時間定員制。貨見物客に対して適時簡単な説明会を実施し、それ以降は流れ解散となる。メガネの彼は、実は修行僧。このように説明会を担当するのも、立派な修行の1つらしい。
 境内は清掃が行き届いた綺麗な廊下で結ばれていて、見学ルートは ほぼ自由。修行僧ですら人生で2回しか通れないという門や、畳敷きの大広間などをじっくる見学階段を登り登り、一番高い位置にある廊下の長椅子に腰を下ろせば、山の緑を広く見渡せ、川のせせらぎが耳を擽る。しっとりとした空間だ。


 見学者が増えて来たので、永平寺を出発。ものの30分車を走らせれば、丸岡城に到着した。

 丸岡城と言えば、天守閣自体は3層(3階建て)の小規模なものだが、その天守閣が、現存では最古の建築様式を持つ。また石垣も特徴的で、“野づら積み”という古い方式。これは隙間が多くて粗雑なように見えるものの、排水が良いため、大雨で崩れる心配がないと言う。まさに、古人の知恵の終結と言った城だ。もちろん、国の重要文化財に指定されている。

 こういった城で自分が最も気にする所は、実は階段である。再建の城だと、学校のようなきれいな階段、はたまたエレベーター付きなんて所もあるが、ここ丸岡城は、まさしく“城!”と言う階段。表現方法に迷うが、階段の基礎が傾斜60度はありそう。そこに段を配置しているものだから、物凄い急な階段となり、上からロープが垂れ下がっている。これを使って登れ、ということだ。
 ひとまず天守閣最上階に登ってしまい、景色を堪能。あいにくの曇り空だが、こうも街中にある城からの眺めと言うのもまた良い。遠くには日本海も見渡せる。冬の空気が澄んだ時期なら、雪山が綺麗だろうな……。
 さて、ここは3層しかないので、見学に時間は要しない。しかし、1階にあった城と城下町の模型に、忍者や犬を探せと言うミッションがあったもんだから、やらない訳にはいかない。結果、見学時間の大部分をここに注ぎ込むこととなった。


 ひと通り満足したので、お次は東尋坊へ。ここへも車で30分程度の移動時間。東尋坊に近付くと、おじちゃんが駐車場へと誘導してくれた……と思ったら、単に自分の土産物屋の駐車場に誘導したいだけだったらしい!
 ……しかし、ここの海鮮丼はなかなか惹かれる。選んでも迷うだけなので、ここで昼食をとることにした。
 “海鮮処 磨呂”。土産物屋かと思いきや、本業は食事処。お昼時だったものの、ほとんど貸し切り状態だった。

 勧められるがままに注文した海鮮丼は、マグロ、ウニ、エビ、カニ、よく分からない何かなど、ボリューム十分。流石、海沿いの町は違う。

 食べ終わってすぐ、東尋坊に出撃。東尋坊とは、率直に言って“崖”である。自殺の名所、なんて側面もあるが、この岩壁の雄大さはなかなかのものだ。天気が悪いのが非常に残念ではあるが、荒い日本海にそそり立つこの岩壁は、見入れば見入るほど、色んな表情を見せてくれる。
 輝石安山岩の岩肌が波によって浸食されてできたものだが、これだけの規模をのものは世界で3か所しかないらしい。極めて貴重な地質とのことで、国の天然記念物及び名勝に指定されている。
 そして何より、柵の類が全くないことが、この景観を一層際立たせている。多くの観光地では、安全のため、危険地帯に柵を設けるのが一般である。最近では、竹田城跡が然り。
 柵が無いことのメリットは、写真を撮りやすいことにもつながる。それは景観的な意味もそうだが、危なっかしいので、人があまり立ち入らないのだ。

 この日も岩肌の奥まで突入していたのは、我々のような若者のみ。うまいこと足場を見つけて、海に下りている人もいる。
 ……なら自分にもできるだろう。岩肌を見極めて、足場を探しながら、少しずつ下って行く。坂とかそういう生易しい物では無く、本当に、崖を下りる感覚だ。自分のように好奇心が強い人間ならば、きっとチャレンジしたくなるはずだ。もっとも、Y君は崖上で待機していたが。


 良い時間なので崖から上がり、先ほどの店でかき氷を食べてから出発。GWとは言え、ロッククライミングのようなことをすれば、当然暑い。

 最後に向かうのは、石川県に入り、那谷寺だ。紅葉と不思議な岩山が有名な那谷寺の歴史は、717年にまで遡る。泰澄法師が越前国江沼郡に千手観音を安置したのが始まりとされているが、南北朝時代の戦乱で荒廃。その後、加賀藩藩主の前田利常が再建し、現在に至る。

 境内は広く、やはり一番の見どころは、“奇岩遊仙境”と呼ばれる岩山だ。海底噴火の跡と伝えられているが、それにしてもこんの形が生まれるとは驚きだ。紅葉の時期に来れば、さぞ美しかっただろう。こちらもまた、柵は無いが岩肌を歩け、小さな祠を拝むことが出来る。

 本殿は小ぶりなものだが、写真のように、浮かせて作られている。そして何より、本殿内部は岩肌の中、岩窟内に造られているのだ。こればかりは、行ってみなければ分からない発見だった。その暗い内部には、那谷寺御本尊千手観世音菩薩が、静かに那谷寺の歴史を伝えている。

 本堂を過ぎ、参拝順路に従って進んで行くと、大きな池が現れる。その先には三重塔、そして、ひときわ目をひく朱色の橋が。これは“楓月橋”と呼ばれている。“橋”とあるが、一般的な、川や池を跨ぐものでは無く、この橋は回廊のようなイメージだ。木々を避けてジグザグ進み、その先に繋がっているのは展望台と“鎮守堂”。ここから眺める奇岩遊仙境が、境内で一番美しいと言われている。

 確かに、展望台から見渡す景色は格別だった。緑に包まれたなか、おおよそ目線の位置に奇岩遊仙境が浮かび上がる。本当に、紅葉の時期に再訪したい。
 最後に那谷寺名物と言う胡麻豆腐を購入し、ヤバい意味で良い時間だったので、那谷寺を後にした。


 ここから一気に富山駅へと戻る。ぐずついていた空から、とうとう雨が降り始める。観光中に一滴も降らなかったのは、いつものことながら、天気運が良かったとしか言えない。
 走り慣れている北陸道、この先渋滞ポイントが無いことは知っていたが、富山市内に入ると混雑が目立ってくる。実は今回のプラン、富山到着に30分ほど余裕を持たせていたのだが、朝、永平寺で蕎麦を食べた30分、まるまる押している。
 移動時間、見学時間を予測して立てた今回のプランが完璧だったことにドヤ顔しつつも、単純にマズい。帰りに乗るのは最終はくたかだし、指定も取ってある。さらには給油もしなければならない。そしてこの渋滞だ。給油はレンタカー屋で精算と言う手もあるが、金沢を過ぎたあたりからガソリン切れマーク点灯、メーターはEmpty。果たして富山駅まで持つかどうか不明だ。
 ひとまず高速下りてすぐのGSに駆け込んで給油。渋滞をちまちま進み、富山駅前、レンタカーを返却したのは、電車の発車10分前。ギリギリ間に合った。


 はくたか25号に乗り込み、爆睡。特急はくたか北陸新幹線開業で廃止となるので惜別の意を込めて……とか微塵も思わずに爆睡。越後湯沢からの新幹線は自由席だが、座れない訳がない。リクライニングを求め1階に突入し、難なく席は確保。そして爆睡。1日で2県4か所をじっくり観光した訳だし、そりゃ疲れますわ。

 東京に到着し、解散。あっけない終了だが、我々の旅はだいたいこんな感じだ。
 一般的に、学生時代の友人と久々に集まり、どこかで遊ぶ、または飲みに行く、というのは誰しも行うことだろう。
 しかし我々の場合、その“集まること”=“旅行”な訳で、“旅行に行く”と言うよりも、“久々に皆と会う”という意味合いが大きいのだ……少なくとも自分は。だから、普通に集まった時のようなノリで解散できる。この年に数回の旅行が、別々の道を進んだ4人を今でも繋いでいる。実はこれ、自分の中の大きな自慢だったりする。


 次回こそは4人で旅行したいところだが、スケジュールだけはどうなるか分からない。まぁ、次回、2014年夏旅行の目的地は、最近めっきり参加できていないもう1人、S君の好みを全面的に取り入れることにしよう。

 そしてS君の口から出た希望地は、苦笑せざるを得ない場所だったのだが……それはまた別のお話し。

 天気セーフ、観光地良し、スケジュール良し、そして何より、ホテルの夕食大満足! 久々に、総合的にグレードが高い旅行となった。

絵幕あずさ・かいじ

 GWとお盆期間中、189系豊田車を使用したあずさ・かいじが運転されました。
 注目は“あずさ色のあずさ”。あずさ運用に就く確率は1/3ですが、運良く2本撮影できました。